ヘイセイラヴァーズ

本、舞台、映画、歌、短編小説、エッセイ、アイドル、宝塚歌劇、など、、、☺

記憶の中にしかない店(エッセイ)

 その居酒屋は、渋谷駅を降りてタワーレコードに向かう途中のビルの5階にあった。

 海の底をイメージしているのだろう、青っぽい照明とゴツゴツした岩に囲まれているようなデザインの店内。真ん中は広いフロアになっていて、かなり大勢で行っても座れるような長いテーブルもあったが、そのテーブルがいっぱいになっているのは一度も見たことがない。変な絵画に派手な壁紙。たばこの煙に燻されながらその店は渋谷の真ん中とは思えないほどいつでもガラガラで、何時間いすわっても何も言われなかった。メニューも不思議で、異常にでかいカラアゲとか、むしろパフェというカテゴリーなのではというようなクリームたっぷりのカルーアミルクとか。成長期だったのでよく食べすぎて飲みすぎては、気持ち悪くなった。

 私たちは本当にその店によく通った。そしていろんな話をした。大学の講義の、好きな人の、就活の、人生の、話。今後の人生の地図が膨大に広がっているように思えた最後の年に、不安だけど、窓から見下ろす夜のまちが自分たちのものだと感じられた20代の始まりに。

 さて、その店には(私たちの間で)名物の店長がいた。無駄にきちんとしたウェイターの制服を着て、呼び鈴を呼んでもなかなか来ないけど、呼んでない時には私たちのテーブルにしゃべりにくる。雇われ店長なのに、すいてるし大体でいいよ、と勝手にアルコールを濃くしたりトッピングが多かったりしていた。普段道で会ったら本当に普通のおじさんなんだろうが、あの店にいる彼は完全にその空間を自分の支配下に置いていた。楽しんで、とか、丁寧な接客、というのとははるかにかけ離れているけど、あの店にはあの人がいるな、とその居酒屋が入っているビルの前を通るたびに思ったものだ。

 あの時一緒にその店に通っていた友人たちは、もちろんもう今は、そんな風にだらだら飲む時間を取れるわけもなく、転職してみたり、結婚してみたり、引っ越ししてみたりいろいろと忙しい。今にも、今にも無くなりそうだから行ってみなくちゃねと影口を叩かれながらもその店はなかなかどうして持ちこたえていて、このままずるずるとずっとあるだろうと気を抜いた矢先、その店が、ついになくなったことを私たちは知った。完全に油断していた。そしてまた思い知る。もう戻れない暗い席と汗をかいて張り付く前髪の感覚。深刻なおしゃべりとそのすべてを吹き飛ばしてしまう笑い。私たちの後ろでまた一つ扉が閉まってしまったこと。

 私たちは何度となくなじんでいた空間を失っていく。心の中だけに留まる、二度と戻ることのできないたくさんの場所。私たちを見守って、そして見送ったあの店とその守人の魂はあの場所でまちの地層の一部になるのだろう。そんなこと彼らに言ったら、うれしくもなさそうに鼻で笑われるだろうと思うけど。

紺色の夜に(短編小説)

 白い大きな猫が、通りの真ん中を通り過ぎて行った。美しい歩き方のシルエットを暗闇に残して。

 あいつは猫とタバコが何よりも嫌いだった。どちらも何でできているかわからない、というのが彼の言い分だった。私がタバコをくわえたままで猫を可愛がったりすると世にも気味が悪そうな蔑みの目でこちらを見ていた。その顔をたまに見たくなって、わざと私はそれをしていた節もある。

 今日のような暑い日には必ずお気に入りの白いTシャツと青いジーンズを履いていた。Tシャツの袖をまくってタンクトップみたいにしてしまうのが彼の癖だった。晴れた日にそのTシャツが太陽の光ににさらされて揺れながら乾いていくのを見るのが私はとても好きだった。日に透ける短い茶色い髪と二つの輪っかのゴールドピアスの横顔が隣にあった。

 恋愛ドラマが好きで、見る前はそんな子供騙しなストーリーのどこがいいのかとかチャンネル権を俺にもよこせとか散々言うくせに、始まってからは私よりもハマって、こいつのこの行動はないとか次回どうなるのかとか横でワーワーうっさい。次回の展開なんて、聞かれたって私も同じように見ているんだから知るわけがない。

 真面目な話なんて一度もしたことはなかったけど、ある夜やけに思い詰めた顔をしてシャワーから出てきた彼は言った。

「もし俺たちが何かの拍子で離れ離れになったら、いつもの公園に集合な。」

 シャワーを浴びながら何を急に心配になったのか知らないが、突然のことすぎて私は何も言い返すことができなかった。集合という言葉だって恋人に対してなのにあまりにもロマンチックさに欠けるというか。だけど真剣に不安そうな彼の頭を私は抱き寄せて、おでこに小さくキスをした。彼はそれに答えるように、その体で柔らかく私を押しつぶした。

 彼の話をするときに過去形を使うことがいつから当たり前になったのだろう。その度にまだ少し心が痛い。

 あの夜から遠く離れて、あの場所から遠く離れて、私はこんなところまで来てしまった。今すぐに大通りに出て、タクシーを止めて、約束の公園に向かってしまいそうになる嵐のような気持ちをやり過ごすのが私はとても上手になった。私はこうして前に進んでいくのだろう。消すことのできない思い出を抱えたまま。逃げることもなく救われることもなく。

その煙のようないくつかの思い出について(エッセイ)

 Girl, do you want it now?

 

 そう言いながら近づいてくるSnowManのCrazy F-R-E-S-H Beat の冒頭の振り付けが頭にガツンときた。くわえていたタバコを指でつまんで足元に捨てるその動きは、私はタバコが好きだということを思い出させた。タバコそのものというよりも、タバコというアイテムの周りに漂う物語の気配が。

 

 私の父親は私が物心ついたときからずっとタバコを吸っている。母は喘息持ちだったこともあり本気でそのことを怒っていて、父もその剣幕に負けてたまに禁煙にトライしてみたりもするのだが、いつの間にかまた換気扇の下に巣を作っている。私がそれを見つけると、彼は居心地悪そうに笑ってみせて、私は仕事ばかりのいつもの父よりこそこそしているその姿のほうがずっと好きでこっそり応援していたのだ。

 夫のお母さんもまた喫煙者だった。私が結婚して初めて彼の実家に泊まった時、緊張のあまり夜中にトイレに起き出した私はふと台所に小さな明かりがついているのに気がついた。こっそりと台所をのぞいてみると、彼のお母さんが台所の椅子に座って静かにタバコの煙を吐き出していたのだった。彼女がタバコを吸うのを知ったのはその時が初めてだった。その背中を見て、彼女がこの古い家で、三人の子どもたちと大きな黒猫を育てたのだということに思い至った。何度ここでひとりでタバコを吸って夜を過ごしたのだろう。彼女が育てた男に選ばれた私もいつかはこんな後ろ姿になるだろうかと思いながら私は慣れない布団の中にもう一度潜り込んで今度はしっかり眠ったのだ。

 学生時代の彼氏もタバコを吸っていた。そのタバコの箱に書いてあった赤い星のマークを私ははっきりと覚えていて今でもその箱を見ると彼のことを思い出す。私の前でも平気でタバコを吸うくせに煙が私の方に流れてきそうになると手でパタパタと払って顔にかからないようにしてくれた仕草。煙越しに滲んだその時の優しい顔だけは、だんだん遠くなっていく思い出の中でなぜかはっきりと鮮明で、彼を好きだったあの頃に私を引き戻してしまう。

 日曜日に再放送されている「愛していると言ってくれ」の主人公の芸術家の男もタバコをよく吸う。自分が描いた絵のバランスを確かめる時。彼女からのFAXをあぐらをかいて待ちながら。大して美味しそうでもない。かといってファッションでもない。癖のように染み付いた自然なその動き。

 お笑いコンビ納言の薄幸のタバコも好きだ。思うさま、自分の部屋で飲み食いし、その後明け方に窓際で静かにタバコを吸う姿。何かのバラエティ番組で見たその映像に、私はほとんど泣きそうになってしまった。誰に文句を言われる筋合いもない、自分の部屋で過ごし、自分の好きなように生きて、覚悟ができるまで明日が来るまでの時間を引き延ばすことができて。そこには確かに自由があった。


Snow Man「Crazy F-R-E-S-H Beat」Dance Video (YouTube Ver.)

  Crazy F-R-E-S-H Beatのそれは、どこか媚びたような匂いがする。待っていた女が来て、吸っていたタバコを捨てて近寄っていく様子。慌てて、だけどそんなことは微塵も勘付かれないようにして。それでもつれない女。渋谷のハチ公前で。人がごった返す、決して大人になりきらない人々が集まるあの騒々しいまち。この男もまた、誰に見せるわけでもなく一人でタバコを吸うのだろう。ファッションとしてではなく、中毒としてでもなく、不健全さの結露として。どこか申し訳なさそうな態度で、悲しい目で。

 苦くて甘い匂いとともに、彼らのそんな姿に私はどこまでも惹かれてしまうのだ。私の方がよっぽどジャンキーだ。

恋とネットワークについて(エッセイ)

 ラインという便利なアプリがこの世にはあって、それは私たちの生活を柔らかく縛る。

 学生時代の元カレのラインのプロフィールにDISH//の歌が設定されていて、私は彼らの音楽を知った。

 メンバーがイケメンでモテそうだから一見わかりづらいけれど、彼らの音楽は意外と、意外と以前付き合っていた女の子に対する未練の歌が多い。

 

 例えば「Shape of Love」という歌で、彼らは泣きそうな声でこう歌う。

 抱えた優しさと愛 全部あげたのに君は なんでここにいないんだろう


DISH//『Shape of Love』#HOMEDISH ver.

 

 例えば「へんてこ」という歌では、新しい恋を見つけるに当たってこう歌う。

 引きずり倒した過去の恋が また同じような恋を連れてきた 頭の先に走る刺激


DISH//『へんてこ』#HOMEDISH ver.

 

 「猫」という歌。

 猫になったんだよな君は いつかふらっと現れてくれ 何気ない毎日を君色に染めておくれよ


DISH// - 猫~THE FIRST TAKE ver.~ / THE HOME TAKE

 

 卒業してから、私と私のひとつ年下の彼は地元の駅で再会した。お互い見慣れない別の高校の制服を着て、古いホームの隅っこで。その日から私たちは何度かデートをした。プリクラを撮ったり、お昼ご飯を食べたり。河川敷の公園をふたりともパーカーとジーンズ姿で手も繋がずに延々と歩いていた様子はもしかしたら兄弟に見えていたかもしれない。私はよく覚えている。彼がその時話していた、学校の友達についてや好きな女優さんの話。小さい顔に長いまつ毛の影が落ちていたこと。暑い日差しと夏休みの始まり。その後私は彼のことを思い出したくもないようなひどい振り方をして連絡は途絶えてしまった。(だけど数年後なんと私たちは教習所で再会したのである!狭い町だ。)

 二度目の再会からも長い時間が経ち、その間に別の人を好きになったりもして、今になって振り返ってみると、彼は私が思っていた以上に私を思ってくれていたのだと気づく。自分の青春をかけて好きになってくれたのは人生で彼だけだったと思う。

 彼がDISH//を好きだと知った時、彼らの歌を聞きながらきっと彼は私のことを思い出すだろうと感じた。思い上がりかもしれないしとっくに私のことなんて忘れて幸せになっているかもしれない。その可能性のほうが高いしそれをもちろん望んでいるけど、私の持つ何かのエッセンスが彼の中に今もきっと含まれていると信じている。そうでなければ嘘だ。人生が何のためにあるのかわからない。

 彼が私に送ってくれた短いメッセージのひとつひとつ。恥ずかしくなるようなアプローチの言葉や、冷たい私への弱気な返信。時には単なる友達としての優しい励ましだったり。それらの光る言葉たちに操を立てて、私はどうしても自分のラインの名前を変えることができない。名字が変わった私に気がついて彼が何を思うかを考えたら。立派に誰かのものになった私に気がついたら、彼はいったい何というのだろうか。

海を泳ぐ(短編小説)

 私はTVの電源を切り、窓を少しだけ開けて流れ込んでくる外の風を吸い込んだ。

 五月にしては暑い空気のどこかから虫の声が聞こえて、私はいつかの夏休みに泊まった祖母の家を思い出す。田舎の夜はやたらと暗く、窓から身を乗り出して伸ばした自分の手の先すらも見えない。濃い草木の匂いが不安で、だけどこの部屋にいる限りは何かに守られているはずだとどこかで確信している感覚。

 

 ベランダに出て夜空を見上げてみる。そしてこのアパートは大きな船でここは水の真上に突き出すバルコニー、広い海の上に浮かんでいるのだと想像してみる。簡単に信じられる。なにも変わらない。しばらく地上には戻れないことも、星の位置だけが刻一刻と変わってゆくことも。揺れる水の色、揺れるカーテンの青。窓の外には水鳥が見えた。

 

 朝に居場所を整えて、昼間は光の中で揺れる洗濯物を眺めて、夜は水と炎を使って自炊をして。すべてがこの空間の中だけで完結していく。閉じ込められたまま日々が過ぎていく。

 

 あたたかい手が、空を見上げている私の腰に後ろからゆっくり侵入してきて、私は目を閉じてその手に背中を委ねる。昔々見た古い沈没船の映画をまぶたの裏に映しながら。

 

 こんな時に申し訳ないが、私は幸せだ。この闇の向こうに目に見えない敵がいたとしても、悪意の気配があったとしても。私たちのことを思い出す人たちがひとり残らず寝静まった、何もない街の静かな真夜中。

ひとまずエピローグ。ヘイセイラヴァーズ。

 「お姉ちゃんは、恋が好きなんだね。」

 このブログを読んでいる妹からのこの一言は、さすがにガツンと来た。さすが妹。同じ腹から生まれただけのことはある。そう、私は恋が好きだ。このブログを書いていて自分でも初めて知った。

 いや、もっと正確に言おう。私にとって恋は必要不可欠なものだ。かといって私がめちゃくちゃモテるとか隠れビッチだとかそういうわけではもちろんない。退屈な授業、ストレスフルな仕事、重い現実にしばしば息が苦しくなるたびに、私は恋を麻酔として使ってきた。隣のクラスの男の子、小説の主人公やアイドル。その時々の相手に恋をして夢中になり、虚構の世界に逃避することは、私にとって現実を生きるすべだ。それがなくては乗り切れない時間が、確かにあったのだから。

 

 私にとっての恋とは相手についてあることないこと想像(妄想)することだ。そうだとしたら、愛とはなんだろう。それはきっと重い現実そのものだ。自分の作った想像ではなく、生身のそれを直視して夢から覚めなくてはならない。そんなことが本当に私に可能なのか?

 

 ヘイセイラヴァーズ。

 時代は変わり、恋人たちも変わっていく。

 

 私はこれからも恋をするだろう。たくさんの物語に、昔の記憶に、自分の頭の中の世界に。だけど、愛も知りたいと思っている。自分以外の世界もちゃんと見たいと思い始めている。

 恋と愛のあいだ。今はまだその場所で、もう少しだけさまよっていよう。変わり始めている世界の、ある部屋の中で。

再会はいつでも真夜中に(ドラマ『恋の病と野郎組』感想)

 教室を覗くといつも、彼は1番後ろの席で本を読んでいた。広い肩幅とブカブカの制服。周りにいる顔立ちの良い友だちに話しかけられるとたまに顔を上げて笑って、だけど絶対に手からは本を離さなかった。彼は一体なんの本を、毎日あんなに熱心に読んでいたのだろう?

 彼と図書委員で一緒になった時、だから私は飛び上がるほど驚いた。うれしかったけど、緊張して話をするどころではなかったので仲良くなれるはずもなかった。だけど一度だけ、他の男の子たちが私のお願いを聞いてくれずに困った時、いいからやるぞ、と立ち上がって助けてくれたことがある。

 卒業式の朝、彼の下駄箱に手紙を入れた。入れてすぐに走って教室に戻り一日中ドキドキして卒業どころではなかった。帰りに彼が道の向こうからまっすぐにこちらに向かって歩いて来たので時が止まったようだったけれど、彼は私にたどり着く前に、取り巻きの女の子たちにさらわれて、私はその隙に逃げ出した。

 走ってばかりの卒業デー。

 

 ドラマを見て、彼らのピュアな恋がむずがゆくて見ていられなくて、そうしてとてもうらやましくなったけれど、じっくり思い出してみれば私もじゅうぶんやらかしていたのだった。

 いくらSNSの時代になっても、私たちはお互いに細い糸を手繰り寄せあわなければつながりつづけることはできない。彼の名前はいくら検索してもインターネットのどこにも見当たらず、あの日手紙に小さく書いた私のメールアドレスにメッセージが届くこともない。彼が本当にいたことを証明できるのは、何度も何度も再生する自分自身の記憶と、卒業アルバムの小さな写真、そして真夜中のTVの中に突然現れるどこか彼に似ている後ろ姿だけだ。