ヘイセイラヴァーズ

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青い部屋(短編小説)

マチュピチュの遺跡からバスで降りる時に、見送りの少年が雄叫びした声が動物みたいで、あんなものすごい声を、初めて聞いた。」

 高山なおみ『諸国空想料理店』 

 

「ねえ、夜の動物園ってどんなだか知ってる?」

 冷たい海の底みたいなブルーの空気の明け方、白いシーツの間で、彼女はそんな話を始める。甘くて遠くから聞こえてくるような不思議な彼女の声は、他愛ない話にも特別な響きがこもる。

「小さいころに私何度か忍び込んだことがあるんだよ。家の近くに動物園があったからね。」

 彼女は話を続けるから相づちを打ちながら近くにあったコーヒーカップに口を付ける。寒いから袖を伸ばす。

「あのね、夜の動物園ではね、基本的には動物たちはみんな眠っちゃっててね、自分の心臓の音だけが聞こえてるの。だけど時々、暗い方から声がするんだ。雄叫びみたいな何かの動物の声。」

 ねえ、私にも、と彼女がコーヒーカップに手を伸ばしてくる。シーツを足に巻きつかせて、目をつぶったまま。まっ白い石みたいにすべすべした顔。苦いの飲めないでしょ、やめときなさい。私がそう言いながらコーヒーカップを遠ざけると、彼女はそのままの体勢で、口の端をが少しだけ吊りあげて静かに笑う。

「その、やめときなさいっていうの、好き。なんか子ども扱いされていて、思いっきり甘やかされてる感じがして。」

 それでね、その何の動物だかわからない声がすっごく怖いんだよ。何事もなかったかのように続きを始める彼女の動物園の話を私はもう聞かずに、これまでいろいろな場所で聞いた、彼女の声を思い出している。この部屋の中で、車に乗ったままの駐車場で、誰もいない図書館で、真っ暗いレンガの道で。彼女の声は、どこででも普通でない響き方をして、私の耳に入り込む。昔彼女が、夜の動物園で聞いたどの鳴き声よりもきっと強烈に、ずっと深いところまで。

   私が話を聞いていないことに気がついた彼女は眉間にしわを寄せて、悲しそうな顔をする。腿に置かれた小さな手が、ものすごく熱い。やがて彼女はベットからするりと降りて、そのままよろよろと進む。椅子にぶつかってその上にあった灰皿が床に落ち、ぱりん、と音をたててあっさりと壊れた。

 きらきら舞っているガラスの破片を眺めたまま、頼りなげに突っ立っている彼女を抱きよせる。彼女の指が私の髪の間をくぐっている間中、いつかどこかで見た映画のワンシーンが頭の中で再生されている。真夜中の海に投げ出されて、木の板に必死ですがりついて溺れないようにしているたくさんの人間たちの姿。私たちはそれと同じように、この世界でお互いの細い身体にしがみつくようにして呼吸している。広い陸上から、暗い海の底から、私たちを狙って鳴いている動物たちの鳴き声を忘れるために、彼女の耳をこっそりと塞ぎ続けている。

お金と幸せについて(エッセイ④)

 東京でOLをしていると、とにかくお金が必要だ。渋谷や新宿や、そのほかのどんな街にも、キラキラしたものがたくさんあって、それらはすべて幸せそのもののような形をしている。しかもそれらはお金と引き換えに自分にも手に入れることができる。

 例えば秋になればほしいもの。

 きれいなレースの下着だとか(夏の汗を吸った下着と総取りかえしたい)。新しい鼈甲メガネだとか(涼しくなると顔に汗をかかなくなって眼鏡がずり落ちないのでステキな眼鏡女子になりたい)。クリスチャン・ディオールのオーデコロンだとか(村上春樹の小説に出てくる白い花の香り)。尽きない、だけどお金で買うことのできる幸せ。

 岡崎京子の漫画『pink』の主人公ユミちゃんは、昼間はOL、夜は身体を売って、お金を得ている。そのお金で彼女は、洋服を買い、化粧品を買い、お花を植物を美味しいご飯を手に入れて、ペットのワニを養っている。これは私のOL人生のバイブルだ。

 なぜなら、誰よりお金をほしがっているユミちゃんはそれでも誰より自由に見えるから。お金を得て好きなものを手に入れても、部屋中水浸しにしてそれらをぜーんぶを失ってもどっちにしたって幸せなんてあるわけないじゃーん。そんな顔をユミちゃんはずっとしていて、その顔に私は憧れているのだ。お金が欲しいから、その分きちんと働いて、だけどだからって私が幸せとは限らないと言いたげなその誇り高い様子。

 ユミちゃんは言う。会社の帰り道に買って来て部屋に飾ったピンク色の花を見て。

 「お金でこんなきれいなものが買えるんなら、私はいくらでも働くんだ。」

 その言葉が私を四年間会社へと向かわせた。お金で得られる幸せを買うための真っ当な労働。

 お金があるから幸せとも思わないし、お金がなくても幸せになれると思うことも私にはまだできない。だけどお金があってもなくてもあごをツンとあげている美人なユミちゃんの顔を、私は忘れることができない。それはやっぱり、一番ほしくて大切なものはお金では買うことができないということをどこかで私も知っているからなのだろうか。

Garaxy Express in Tokyo(短編小説)

 真夜中の最終電車は空いていて、まるで自分の部屋が移動しているみたいだ。

 そういうと彼女は、じゃあ何してもいいよねと言って素早く煙草に火をつけた。白い煙が細く上がってあっという間に天井を這っていく。私は天井の端に小さな煙探知機を見つけて彼女の指に挟まっている煙草をあわてて奪い取り、古くてくたびれた緑色のシートにその小さな炎を押し付けて消した。だって気持ち悪くて煙草吸ってないと吐きそう、と恨みがましい口調で言いながら彼女は私の右肩に小さな頭を乗せてくる。

 「今頃イケメンにお持ち帰りされてる予定だったのに、何であんたと電車に乗ってるんだろ。」

 彼女はそんな蓮っ葉な口をきくけど口で言うほどちゃらちゃらした女じゃないと私は知っている。かといって恰好つけて不良を装っているわけでもない。結局私たちは本物の王子様を待っているのだ。さっきのおしゃれ居酒屋の合コンでも、例えばこの狭い電車の中でも。

 彼女の顔が向かいの窓に映っている。昔から丸いおでこが出っ張っていて、それが彼女のチャームポイントだった。切ったばかりの短い前髪が乱れても、気にせず文句を言いつづける彼女は、それでもとてもきれいだ。

 

 ちょうど一週間前に、居心地悪そうに居酒屋の明かりの下に座っていた彼の姿を思い出す。たぶん私の気持ちに気づいていた彼は、三年前からいるという恋人の話を友人に持ち出されている間中、決して私の方を見ようとしなかった。だけど私を傷つけたのは目の前にあるその事実ではなくて、自分の頭の中に浮かんでいた想像上の彼の姿だった。多分毎晩私が、飲み会やら、眠る準備やら、テレビを見るやら、本を読むやら、彼の事を考えるやらしている、同じ、その時間に、見た事のない顔で、特別でもなんでもない、普通の楽しい時間を過ごしていた彼。その時も光っていただろう目の前にある濡れている金色の指輪。

 

 窓の外で真っ暗闇がヒュンヒュン飛んで行く。ずいぶん長い間駅に止まっていない気がする。誰もいない車両は、がらんとして広い。朝の満員電車が悪い夢のよう。彼女は私の顔を覗き込んでくる。真っ白い蛍光灯の下で入念にファンデーションで埋めてある彼女の毛穴がうっすらと見える。

 「ねえ、この電車もう、降りちゃおうよ。」

 彼女は肩をすくめてにやりと笑う。私はもちろん彼女にその小さな失恋の話はしていない。したら最後、小学生かよと言って一生笑われることが目に見えているから。

 彼女は立ち上がって荷物をまとめはじめる。私は本気にしない。この電車は最終だし今日はまだ火曜日だから、さすがの彼女でもそんな無茶するはずない。

 だけどちょうどよく到着した駅のホームに彼女はあっさり降り立ってこちらをくるりと振り返る。私に向かって手を振って茶色い髪がなびいている。透明なグロスが少しはみでたくちびる。誰もいないホームで発車のチャイムが律儀に鳴る。夜中のホームのピンスポットを浴びた彼女があまりにも軽やかで、私は励まされる。励まされてしまう。一緒に泣いてくれるより、話を聞いてくれるより、ずっと深いところで。その自由さが、私を想像のふちからいつでも救いあげてくれる。

絵の効能(村上春樹『騎士団長殺し』感想)

 目に見えるものをコピーするなら、写真を撮るのがいちばんだと思っていた。目に見えないものをコピーするなら、言葉で表すのがいちばんだと思っていた。だから私は中学校も高校も美術の授業を真面目に受けず、隣の席の友だちとの無駄話の内容ばかりをはっきりと覚えている。無駄話をするのに、ちょうどいい教室のざわめきを。

 大人になってからも、美術に対するそういう気持ちはほとんど変わっていない。たまには知的なデートを、としゃれ込んだ美術館で一番心に残ったのは、同じくらい美術を解しない恋人の大あくびをかみ殺す奇妙な表情と早々に入った休憩室のケーキの薄い黄色のスポンジがそこに飾ってあるどんな絵の色よりきれいだったこと。

 『騎士団長殺し』の主人公は絵描きで、そして大事な登場人物のひとりは、絵の中から現れる。私が一番好きな村上春樹の短編小説『タクシーに乗った男』の成り行きと似ていて、だから私はこの小説がとても好きだ。このふたつの小説の中で「絵」は向こう側の物語とこちら側の現実をつなぐ、窓のような役割を果たす。つらいこと、つまんないこと、やってらんないこと、そんなくっだらねーことばっかりのこの世の中で、例えばずっとなんとなく魅かれていた絵の中の人物が外国で突然自分のタクシーに乗り込んでくるみたいな数秒間、そんな光っている数秒間だけが人生のすべてで、それ以外は全部グレーなのではないかと思う、それでいいのではないかと、私は思う。

デイ・ドリーム(短編小説)

 明け方のタクシーに乗るのが好きだ。

 だからなるべくぼんやりと窓の外の景色を眺めようと努力していたが、ダメだった。さっきまで目の前にいた彼女の姿が何度打ち消してもどうしても浮かんできてしまう。大学の同期で、三年ぶりに会った彼女は、薄いピンク色のセーターを着て、OLらしく爪もきれいに光っていた。髪を伸ばし、昔から決して美人ではないが変わらない笑顔と何を考えているかわからない一重のまぶた。ビールジョッキを持ち上げる腕に腱が浮かんでいたところと化粧が少し濃くなっているところがやっぱり少しおばさんになったと思った。

 最後に飲んだワインが今頃になって効いてきて、頭がぐわんぐわんする。家まではあと少し、携帯電話には何件もラインが届いている。最近俺の部屋に住みはじめた年下の女の子から。いつ帰ってくるのかということを繰り返し聞いている、女の子らしくてかわいい絵文字。俺はその子にこんな情けない姿を見られたくないと思う。

 お金を払って、タクシーを降りる。地面に足を着けた途端に足元がふらつくが、タクシーの運転手はそんなことを気にも留めずにさっさと走り出す。玄関を開け音をたてないようにリビングに入っていくとさっきまで俺に何件もラインを飛ばしていた携帯電話を握りしめたまま、テーブルに突っ伏してその子は眠っていた。

 細い肩ひもの白のキャミソール、もこもこした毛布にくるまって、白い足を投げ出して。いつも通り可愛いけれど、今ここでこんな風に眠っているのがこの子ではなくて彼女だったらどんなにいいだろうと俺は思う。きっともう少ししたらこの子は目を覚まして俺に気が付いて整った顔で笑いかけてくれる。そして俺にその細い身体をからみつかせてきて、お酒臭い、と顔をしかめてみせることも忘れないだろう。それでも。

  窓の外を見る。都会の空には星はほとんど見つけられない。彼女と初めてふたりで歩いたのも、こんな星空の下だった。そっとつないだ手を彼女はふりほどかなかった。こちらを見ないようにしている気配が伝わってきていて、俺もとてもじゃないけど彼女の方を見ることが出来なかった。こんな気持ちで思い出すことになるなんてその時は思いつきもしなかった。

 窓の外の景色に遠くまぎれていく。涼しい風が頬を撫でる。今頃彼女はどこにいるのだろう。一人で自分を抱きしめるような格好で眠っていてほしいような、きちんと誰かの腕の中で眠っていてほしいような、どちらとも願えない俺は、目の前にいる女の子の細い髪をそっとなでている。

夏の終わりに(短編小説とエッセイのはざま)

 昼間がクソ暑かったわりに夕方は涼しかったので、私たちは川原に座って花火が上がるのを待っている。周りには色とりどりの華やかな浴衣のたくさんの女の子たち、目の端でチラチラ揺れる髪飾り。その中で紺は少し地味だったかな、と私は気にしてばかりいる。彼がさっき屋台で買ってくれたラムネのビンが手のひらの中で冷たい。

 思えば刹那というものに縁のない人生だった。刹那の恋、刹那の快感、そういうものにあこがれはするけれど、本当は切なすぎて苦手だ。だから私は刹那のきらめきを手に入れるといつも、心の中でそれを何度も思い出し、反芻し再生し、そのきらめきが薄れて擦り切れてやがてなにも感じなくなるまで、心の中で分析し尽してしまう。味がなくなるまでチューインガムをしつこく噛み続けるように。

 私たちの目の前の空いていたスペースに若い夫婦がやってくる。彼らは慣れた様子でテキパキとビニールシートを広げ、草を覆って陣地を作り上げる。担いできたクーラーボックスの中から過不足ない量のビールとお菓子を取り出す。毎年この花火大会を見に来ているのだろう。特に笑いもせず、しゃべりもしないその黙々とした後ろ姿は、彼らふたりだけのやり方で、毎年やってくる刹那に確かに対抗しているように見える。

 不意に夜空が明るく光った。よく見える、こんなに近いの初めて、そう、あの金色で、それで降ってくるみたいなやつが一番きれい。だけど私はやっぱり終わってしまうことが怖くて、どうしてもそれをうまく目に焼き付けることが出来ない。写真にも写すことができない。さっきの夫婦は仲良くひざまくらをしながら空を見上げていて、その指には同じ銀色の指輪が光っている。履きなれない下駄のせいで足が痛い。私は混乱して思わず隣にいる恋人を見る。薄く口を開けている横顔。彼は私の中の混乱なんて一ミリも理解していなくて、私は彼のそういうところがとても好きだ。首筋をひとすじ汗が流れる。この時が刹那よりもずっと長く続くことを私は願う。できたら永遠を。これまでのどんな刹那の瞬間にもそう願ってきたように、飽きもせず、懲りもせず。

 

消えて行ったラブレターたちについて(エッセイ③)

 

 好きな人の下駄箱にラブレターを入れたのは、高校生の頃だ。

 彼は物静かな人で、教室をのぞくといつも本を読んでいた。誰かに話しかけられると本から顔を上げて笑って何か答えていて、その優しさとおとなっぽさに私は憧れた。

 その作戦を決心した朝、私は誰よりも早く登校して、隣のクラスだった彼の下駄箱をそっと開けた。息を止めて目をつぶって小さな手紙を入れてしまうと、階段を駆け上がり、みんなが来るまで教室の隅の方でじっとしていた。変な汗と震えが止まらなかった。こんなことになるなら、「なんの本を読んでるの?」と可愛く話しかけてみたほうが遥かに良かったのではないかとも思ったけど、活字中毒の彼なら手紙という方法を喜んでくれる気がしたのだ。

 だけど結局作戦は失敗に終わった。彼からはなんのレスポンスも来なかった。彼がその手紙をちゃんと見つけてくれたのかどうかもなんの手がかりもなく、フラれたのかどうかもわからなかった。その手紙が誰にも読まれずに下駄箱の奥で朽ちていく様子が目の奥で浮かんでは消えた。そのようにして私の胸には、「基本的に手紙に返事が来ることはない、その内容が大事な要件であればあるほど」というひとつのテーゼがゆっくり浸透して、今も消えることはない。

 

 「皆さんからいただいた手紙を読み返して日々のやる気にしています!本当にありがとうございます!」

 

 ファンレターを渡したことのあるアイドルのブログにこの言葉が不意に書かれているのを見た時、本気で泣いてしまったのは(私がイタイファンだからではなく、笑)きっとその出来事と関係があるのだと思う。彼の言葉を見た時、高校で返事のなかったあの人から手紙を読んだと知らされたような気持ちになった。全く関係のない話だけど、もしかしたらあの手紙も読んでもらえていたのかもしれないと初めて思うことができたのだ。

 私はきっとこれからも手紙を書くことを止めないだろう。好きな人の下駄箱に、伝えたい言葉をつづった手紙を、文字を、そっと入れつづけるだろう。そしてその度にカチャリと軽い音を立てて開いたあの朝の下駄箱の感覚を私は思い出すと思う。