ヘイセイラヴァーズ

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カンチガイのために人は生きてる(1/14宝塚宙組『WEST SIDE STORY』感想①)

 ほとばしる若さ。すべてのシーンが若者ゆえのカンチガイに満ちあふれている。カンチガイでなければ若気の至り。

 ダンスパーティーでの一目ぼれ。今日何かが起こる予感がしていたこと。それはカンチガイだ。トニーの「俺だけを見てくれ」というバルコニーでの熱い発言も、死んだトニーを獣のように誰にも触らせないマリーアの気持ちも、カンチガイだよ。もちろんしょうもないことのためにケンカをすることも、なにもかも、カンチガイだ。大人に言わせれば。

 これらはすべて、死にさえせずに大人になれば、魔法はとけて、ちょうどいいところにおさまっていく、そして老後にお酒を飲みながら思い返すのにぴったりの思い出になるはずだ。なるはずだった。

 19才にしか許されない、汚さ、臭さ、安っぽさと必死さ。

 バカだな~と思う。彼らの何もかも。すぐに忘れることができる間違った恋に必死にしがみつくことと、人生のこんなところで命を落とすこと。

 だけど私たちは、彼らの気持ちがわかってしまう。時代も場所も、人種もなにもかもが違っていても。そのすべてを超えて、私たちはそのカンチガイに覚えがあるから。

どうしようもない抑えられない激しい感情が体を走って、体中から汗と皮脂があふれ出る感触を、私たちは知っている。”トゥナイト”今夜一晩にすべてをかける気持ち、そして、やっぱり一晩で人生の景色がイヤというほど簡単に変わりすぎることを、私たちは知っている。

 そしてなにより、キスしかもうすることはないけど、それでもやっぱりまだ早いかと逡巡する、若い二人が愛し合うことについて、私たちは痛いほどによく知っている。お互いの影にすがりつくような暗い部屋の景色。他愛なく笑いながら向き合って、相手の目の中に自分の未来が見えてしまった時の静けさと切なさも。(だから私は結婚式ごっこのシーンで泣いたんだ。)

 何もかもを知っている。彼らが見たもの、聞いたもの、感じたことのすべてを。

 やっぱり私たちだってあんたらと同じ年の頃があったんだよ。

 彼らにナイフを握らせないことは無理でも、それだけはどうしても言ってあげたくて。