トゥナイトにその一歩を(1/14宝塚宙組『WEST SIDE STORY』感想④)
私がこの舞台をみて一番印象的だったのは、トニー(真風涼帆)とマリーア(星風まどか)がダンスパーティーで出会ったその日にキスまでしてしまったこと、、、ではなくてそれを見ている観客の反応が「あ~まあそういうことって、あるよね~」的な雰囲気なのを感じたことだった。
みんな大人だなあ。恋に限らずだけど人生を変える出来事は一晩のうちにやってきてすべてをひっくり返していくということがわかっているんだなあ。
だけど実際にこの舞台の上に出てくる大人の数は違和感を感じるほど極端に少ない。子どもVS大人。この作品にある重要な対立なのに、大人と呼べる登場人物はたったの三人だ。でも本当にそうだろうか?
なぜなら見ている観客は全員大人だから。
観客たちは全員「ひとめぼれ」を理解できる大人だ。客席の大人たちは一団となって舞台上の子どもたちをじっと見守っている。ある時は彼らの親になり、姉や兄になり、職場の先輩になり、ただの通行人になり。その他彼らのまわりにいるだろうありとあらゆる大人たちになって彼らを見続けている。
だけどどうしてやることも出来ない。けんかを止めることも、一緒に泣いてあげることも、手を差し伸べて助けてあげることも。してあげたいと思っても、別に思っていなくても、どちらにしても結局出来ない。時が過ぎるのを待つだけだ。それもまた舞台の上で彼らのまわりにいるはずの大人たちと同じように。
私たちはこの作品を見ている間中、ボーっとすることは許されていなかった。私たちはこの舞台の一部だから。「ありとあらゆる大人たち」という配役を与えられて私たち観客はそこにいた。演者VS観客ではなく子どもVS大人の図を完成させるために。
対立は世界が続く限りこれからも続いていく。だから私たちは考え続けなくてはいけないんだろう、本当は。例えば対立する者同士がお互いを理解するにはどうしたら良いかとか。だけど永遠に続くこの圧倒的な対立の世界を前に私はもう考えるのが面倒くさくなってる。私だって自分のトゥナイト、今夜をやり過ごすので精いっぱいだ。
それでも。この物語の最後のシーン。
トニーの亡骸を運ぶときに片腕がぶらりと垂れ下がる。それを敵対していたチームのペペ(美月悠)がとっさに支えた。
印象的で、悲しくて、どんより暗くて、それでも一筋の光が見える瞬間。
いきなりじゃなくてもいい。だけど考える前にとっさに手を差し伸べてしまうその心をどうか、自分も持っていたいと思ったのだ。