ヘイセイラヴァーズ

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赤いワイン(あいみょんに寄せて②短編小説)

「お風呂からあがったら少し匂いをかがせて 

まだタバコは吸わないで赤いワインを飲もう」

あいみょん『ふたりの世界』より

 

 お風呂からあがった彼の背中が、愛しすぎて私は気が狂いそうになる。タオル一枚だけが巻きついた、まだ水滴がしたたっている身体。彼はすぐにたばこに腕を伸ばそうとするから、私はその腕を柔らかく制して鳥の足みたいに美味しそうな彼の細い筋肉に噛み付く。彼はめんどくさそうな顔をしてるから、悔しくなった私は本気で食いちぎろうとして歯に力をこめる。

 私の高校はキリスト教主義だったので、毎日礼拝があって教会でみんなでお祈りをした。その中で、パン一欠片とブドウジュースが全員に少しずつ配られて、これをイエス・キリストの身体の一部、そして血だと思って口にしなさい、というお祈りがあったのがとても衝撃的で今でもよく思い出す。全員がクリスチャンではなかったし強制ではなかったから、友だちは気味悪がって受けとらない人も多かったけど、私は喜んでそれを口にした。人は愛する人といろいろな手段で、究極的には1つになろうとするんだと知って嬉しくなってしまったから。

 このワインを今私は、その時教わったように彼の血なんだと思って飲んでいる。彼は私がそんなことを考えていることを知る由もないはずなのに、何も知らないとは思えない深い黒い瞳で私とワインの赤を交互に見ている。唇は赤く光っている。彼の細長い指がゆっくりと伸びてその先のタバコの箱をからめとろうとしている。彼の足はテーブルの下で私の足に絡みついてくる。こうなったら彼はもうこれ以上我慢できない。

 

 しばらくしてシャワーを浴びるため私はベッドから1人で起き上がった。テーブルの上には飲みかけのふたつのグラスと、栓が開いたままのワインボトルがじっとたたずんでいる。私はワインの味は全くわからないけど、さっきあのボトルを取り出すとき彼は、今日はいいことがあったから美味しいやつを、と言っていた。その様子が美しすぎたので、”いいこと”が一体何だったのか、聞きそびれてしまった。シャワーからあがった後で聞いたら教えてくれるだろうか?

 

 突然喉がカラカラに乾いていた。ぼんやりシャワーを浴びていてふと気がついた時にはもう遅かった。喉の奥の奥まで水分が一滴もなくて息が吸えない。心臓があっという間にバクバク音を立てはじめる。落ち着けと自分に言い聞かせるけれどそうしている間にも身体が震え、唇の色が失せてくるのが自分でもわかる。手がいうことをきかず流れつづけるお湯を止められない。お風呂の出口の取っ手は遠い。たぶんさっき彼の血を飲んだから毒がまわったんだ、と思って私はぎゅっと目をつぶった。シャワーの熱い水蒸気が私の身体を包んでいてよけいに苦しい。口を開けても息ができなくて焦る。その時私はわかった。私はこの世界でたった1人きりだと。そして彼もまた1人きりなんだと。この先どんなに不安だろう、私も彼も。それでも、彼を失ってもいいです、と確かにそう思ってしまった。

 その瞬間、お風呂のドアが開いた。私は全身に白い泡をつけたまま必死で這い出した。目の前は真っ暗で何も見えなくて、どこが前かもわからずに壁になんども顔や頭を打ち付けて、やっとの事で廊下に倒れこむ。

 暗闇は遠くまでしんとして何ものも目を覚ます気配はない。意識がなくなる瞬間、苦い煙草の匂いが鼻をかすめたような気がした。

     彼を、失っても、いいです。 

 完全に血の気を失った真っ白な私の裸体が暗闇に浮かび上がる風景はまるでどこかの国の宗教画のように見えていたと思う。もし、どこかで誰かがそれを見ていたとしたら。