ヘイセイラヴァーズ

本、舞台、映画、歌、短編小説、エッセイ、アイドル、宝塚歌劇、など、、、☺

apollons on the slope(映画『坂道のアポロン』感想)

 

 長崎ちゃんぽんのことを、よしもとばななはこう説明している。

 「ちゃんぽんというのはほんとうに難しい代物で、まず長崎のちょっと濡れたような、でも昼はからりとしているような独特の気候や雰囲気にいちばん合っている。」※

 まさに長崎はそういう独特の気候、そして雰囲気だったことを私は肌で覚えている。高校三年生の修学旅行で長崎を訪れたその時の私は、自信はなく、それでいてプライドは高く、自意識過剰で、修学旅行だというのに友だちも一人もいなかった。ただ、みんなの後ろについて、日本二十六聖人殉教地のだだっ広い原っぱに寂しそうに並んで立っている真っ白い像だとか、グラバー邸の光と花でいっぱいの明るい庭だとかをぼんやり眺めていただけだった。居場所がなく、うつむいていた時間が長かったので、坂道が続く地面の模様をやけにはっきりと覚えている。いまいましい坂だ、そう頭の中でつぶやいたことを覚えている。

 この物語を”ふつう”の青春映画ではなくしているのはこの長崎の町と、そして、言うまでもなくジャズとキリスト教の存在だろう。

 陽気で苦味もあって何かの始まりを思わせるモーニンの音と、日本じゃないみたいに日常の風景にも思想にも浸透しているしっとり落ち着いた色合いのキリスト教。そしてそのどちらもが溶けるように似合っている湿気を含んだ長崎の町。その三つの要素が織りなす雰囲気は、爽やかなはずの青春映画に似合わないくらいに甘く優しくセクシーで、そのくせどこかに空恐ろしいまでの強さをはらんでいる。

 その強さを感じたのは、彼ら三人の「運命」というものが映画の中でカッチリ音を立てて決まった瞬間を見たからだった。それが訪れたのは千太郎(中川大志)が運転するバイクで事故にあい、意識不明になっていた律子(小松菜奈)が朝病院で目を覚ました瞬間。

「こまか頃の、夢ば見とった。」

彼女はそう言いながら目を覚まし、そしてこう続ける。

「千ちゃん、自分のせいだって思っちょるかもしれん。気にせんでって言っといて。」

 この言葉は、千太郎の存在そのものに対する許しの言葉に聞こえた。千太郎のせいではないと、律子は小さいころからずっと心の中で伝え続けながら彼の隣にいたのだと思う。そして、こうして言葉にすることによって千太郎は自由になり、律子自身も彼からある意味では解放されたのだと私は思う。

 千太郎は、律子が目を覚ました瞬間、病室にも入らずに天を仰ぎ、そして姿を消した。そのとき彼は「神様はいる」ということを確信した顔をしていた。彼は律子のおかげでずっと抱えていた自分という存在への疑問から自由になり、自分の生まれ故郷である教会と共に生きるという運命を見つけた。

 そして枕元に立つ自分の父親と薫(知念侑李)が驚くほどそっくりな顔をしているのを見たとき、律子は自分が父親に似たこの人を選ぶことになると知ったのだろう。二人で家族として生きていくのだと。

 そのとき決められた運命に向かって彼らはそれぞれの十年を過ごす。いつかは会える気がしていた、とそんなふうに予感できるくらいに何かに守られて。いつも通りに甘く優しく時は流れて、でも守られている代わりにその流れに逆らう事は決して誰にも許されない。それは長崎という土地が持っている強い力で、他のどこの場所が舞台でもこの物語は成立しない。

 

 千太郎は初恋の相手であるゆりかさん(真野絵里菜)に音楽を司る神様のアポロンに似ていると言われて喜ぶが、そのアポロンにはもう一つの顔がある。それは病を払う「治療神」である。この物語はその「治療」もテーマの一つであると思う。彼らは治療を求め、そして手に入れる。信仰を持つことで、音楽に浸ることで、そして愛を得ることで。

 私が十年前に歩いたのと同じ坂道を彼らが何度も駆けていく様子を見て、私の記憶の中にある長崎の坂道にも音楽と治療の神様のアポロンが舞い降りた。あのときうつむいて歩いていた私の横をすり抜けていく人影の中に彼らの姿も あっただろうということ、あの町はあの時私をも甘く優しく包んでいただろうということ。そしてそのときよく耳をそばたててさえいれば私にもどこかから音楽が聞こえたはずだということ。そのことがわかったから。

 長崎は坂道が多く、セクシーで、そしてとても美しい町だ。

 いまいましい坂を何度も登っていくアポロンたちの後ろ姿も、永遠に美しい。

 

 p.s.それにしてもなんですけど、長崎のセクシーさにつられてなのか薫さんのセクシーさもすごいことになっていたんですけど。白シャツから出てる首のむちむち感とか、ピアノの鍵盤に顔近づけて弾くところとか、鼻がテカりがちなところとか。だんだん「薫さんを見てるとドキドキする……」と思い始めて私はりっちゃんか?!いや違う!と混乱していました。薫さんからにじみ出ている(ダダ漏れている?)このお色気は演出として正解だったのでしょうか、むしろ演出だったのですかそこんとこどうなんですか~!

 

※『ごはんのことばかり100話とちょっと』よしもとばなな