ヘイセイラヴァーズ

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舞い上がるマリーゴールドの渦の中で(映画『リメンバー・ミー』感想②)

 毎日乗る電車の窓から、春になると満開の桜の木が見えるわけだけれど、桜の開花が頂点に達したある一日だけ、本当に電車の窓全体が隙なく桜の花びらに覆われて、しばらく桜のトンネルをくぐっているような瞬間がある。その時、綺麗だと思うより少しだけ早く、恐ろしさに息が詰まるのはなぜだろう。

 

 花びらに包まれる息苦しさは家族の息苦しさに似ている。

 特に結婚したあとの女性の息苦しさに。

 美しくて幸せでいい匂いもたくさんするのだけど、それゆえの抱えきれそうにない重さとか恐ろしさ。

 

 一応私も年頃の娘なもんで、結婚、とかについて考えたりもしてみるわけなのですが、、、すみません、かっこつけました、ほぼそれについてしか考えていません。なのでこの映画を見ている間もつい考えてしまうわけで。

 

 注目してしまったのは、ミゲルのお母さん。

 ミゲルの母はその家に嫁に来ていて、エレナというお姑さんがいる。エレナはとてもいい人だとは思うけれど、お姑さんとしては結構強力だと思う。すぐ靴投げるし。そしてこの家族はエレナの母(義母?)のココとそのまた母親のイメルダと代々お婿さんをもらっているので彼女の気持ちをわかってくれる味方は家の中にはなかなかいない。というかそもそもこのミゲルの母には名前がない。今のところ、「ミゲルの母親」としての存在意義だけで、個人としての扱いがない。彼女はまさにお嫁さんとして、仕事から思想から自分自身さえも白紙にして、一人でこの一族という渦の中に身を投げたように見える。正直言ってその心労いかほど?

 代々亡くなった先祖たちを祀る美しいオレンジの祭壇。そうやって祀られることがこれまで家族としてやってきたことのゴールだ。ミゲルの母もこのままいけばここに祀られることになると思うが、そこまでに積み重ねる彼女の悲喜こもごもを想像すると、画面いっぱいのマリーゴールドの花びらに息がつまりそうになるのも事実で。

 

 ミゲルは言った。家族は助け合うものでしょう?とまっすぐな瞳で。

 ただ、家族になる前、彼らは、私たちは恋人だったということ。

 ただの恋人同士が突然「家族」になることについて。

 美しい花びらに息を詰まらせるだけではなくて、しっかり目をこらして見つめていなくてはならないことが、花びらの渦の先にある気がしてる。