パクチー(味覚にまつわる短編小説⑦)
朝からパクチーはキツイっす。
そう言った私の寝起きのかぼそいガサガサ声は、やっぱり高血圧で朝から絶好調の裕翔には届かず、水道の音にすらかきけされた。
パクチーは大好きだけど朝からパクチーサラダはどうしても無理。さすがに味と匂いがダイレクトすぎる。
裕翔は鼻歌を歌いながら食べ始めてる。この人はいつもそうだ。ハマったらそれだけ。ずーっと同じものを食べ続けるし、し続ける。毎食ようかんを食べている三カ月もあったし、お気に入りの一曲を二か月間聞き続けているときもあった。そして恐ろしいのは、コロッと忘れること。ある朝目覚めて突然すっきり治っている熱病のように。今回はパクチー。何か月続くんだろう。今日のお昼も夜も、パクチー三昧だろう。そしてたぶん、まだ明日も。
だけど、朝六時時点では多分日本一元気いっぱいにモリモリごはんを食べている目の前の裕翔を見て、私は少し安心している。この場所で何かにハマっている間は裕翔はまだしばらく私の近くにいてくれるということだから。私が怖がっているのは、裕翔がここではない他の場所でなにかにすっぽりハマってしまって戻ってこなくなるとき。
もしそうなったら誰にも彼を止めることは出来ない。だから私は今日と同じうんざりする明日がくりかえしくりかえし来ることを願ってる。
朝の光の中で裕翔の笑顔を見るのにハマって、私はもうどれくらい経っているのかな?