ヘイセイラヴァーズ

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煙草(味覚にまつわる短編小説⑨)

 目を覚ますと、もうお昼はとうの昔に過ぎていた。リビングに行くと宏太がおはようと振り返る。そしてテレビに向き直る。二人で選んだグレーのソファ。その後ろで観葉植物のパキラの葉が揺れて、いつも通りの日常。安心で幸せ。

 宏太が私の髪についた寝ぐせを解きほぐしてくれる。だから私は、あの夢見たよ、と彼に伝えずにはいられない。多分俺も見た。宏太は私の後ろあたまをいじる手を止めないまま何でもない事のように言う。私たちは今でもたまに同時にその夢を見ることがある。

 雨の部屋で三人でご飯を食べている夢。たぶんひかるの部屋に私が初めて行った時の風景。あの日々の事を思い出すとたばこの煙で頭がかすむ。制服姿のまま左手にたばこをはさんでベランダの端に座るひかるの笑顔。宏太は体に悪いからと言って嫌がったが、私には空に向かって煙を吐き出すひかるの方が健全に見えていた。

 彼はいつも、煙を胸いっぱいに吸い込んだあと、目を閉じてしばらく息を止めてからゆっくりと吐き出した。まるで肺に煙の成分がすべて浸透するのを待っているみたいに。寿命をすりへらそうとしているみたいに。

 さまになってるんだからそんなにえげつない吸い方しない方がいいよ、ふかすくらいで十分かっこいいよ、と私が言うと、ひかるは笑ってまた深く煙を胸に溜めた。指の先で炎が赤く点滅してる。すると彼はそのまますばやく私の頭を抱えて、私の口の中に煙を吹き込んできた。ひかるの肺から私の肺へと、白い煙が侵略していく。その間薄く開いていたひかるの目の中にあったのは強烈なさみしさ。本当に、ただそれだけ。

  意識が遠くなって私が咳き込むと、ひかるはぱっと頭を離して、もうその日は絶対に目を合わせてくれなかった。

 そのキスは宏太に対する私のたった一つの秘密になってしまった。そのときからずっと今でも、あの煙が私の身体の中で少しずつ侵略を続けていることを宏太は本当は知っているのだろうか?

 初めて同じ夢を見た時、私たちは話し合って、自分が幸せに暮らしてるってことをひかるが私たちに伝えてきているんだと思うことにした。きっとひかるもどこかで、同じ夜に、同じ夢を見ているんだと思うことにした。いつか白い煙が私の肺からあふれ出して、宏太と暮らすこの部屋が白いもやに包まれるまで、私たち三人はいつまでも幸せに暮らしていくんだろう。