ヘイセイラヴァーズ

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アラサーOL、花晴れにハマる(ドラマ『花のち晴れ』感想 前編)

 道明寺とつくしの恋にあこがれて早十ウン年。花男は私たちの恋のバイブルだった。大人になったらあんな恋が出来るんだと思っていた。

 だけど小学生だった私たちは彼らと同じ高校生時代をあっという間に過ぎ、気づけば花男セカンドシーズンを眺めている。長生きはしてみるものだ。

 私たちはあの時花男のなににあこがれていたのだろう?

 それはお金持ちと付き合うことではない。イケメンと付き合うことでもない。それはきっと世界にたったひとりだけいるはずの、自分を認めてくれる人に出会うこと。そのたったひとりのことを、自分も心から信じられるということ。

 

 ところがどっこいですよ。このセカンドシーズン何かが違う。

 かつてまさに花男から教わった「運命の人はひとり」という定説に革命が起きた。ひとりしかいないはずの運命の人がこのドラマには明らかにふたりいる。音ちゃん(杉咲花)を奪い合う神楽木(平野紫耀)と天馬くん(中川大志)。どちらを選んでもきっと幸せになれる。そしてどちらを選んでももう一人を選ばなかったことを一生後悔するだろう。得られるもの、失うもの、喜ぶ顔、悲しませる顔。これらが頭の中をぐるぐる回って混乱し、どちらを選ぶ方が「幸せ」になれるかなんて、この時点では誰にもわからない。わかるわけがない。だいたい「幸せ」ってなによ?そこに周囲の人の「幸せ」まで合わせて考えた日には答えなど出るはずはない。

 でも音ちゃんは選ぼうとしている。選ぶということはなにかを捨てようとしている。

 

 神楽木が音ちゃんを江戸川と呼ぶとき、道明寺がつくしを最後まで牧野と名字でしか呼ばなかったことを思い出し、「花シリーズ」マインドの確かな引継ぎを感じる。好きな人のことを初めて勇気をだして下の名前で呼んでみた時の空気の凍り方を私たちはこの十ウン年で知った。私たちは大人になった。だからあと半分、見守るしかないんだ。音ちゃんが何を選ぶか。選んだ先に、そして選ばなかった先に何があるのかを、最後まで。