ヘイセイラヴァーズ

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村上小説の思い出(エッセイ)

 村上春樹の小説を読むと思い出すのは、彼のことだ。

 村上春樹を崇拝していた彼。出会ってすぐにそのことで意気投合して、しばらくの間とても親しい友だちだった。何度か一緒に飲みに行って、酔っぱらって彼の部屋に転がり込んで、だけどあまりにもなにもない部屋にドン引きしてそそくさ帰ってきたりもした。

   私たちのもう一つの共通点はスピッツの曲で、一番お気に入りの曲が同じだった。「街道沿いのロイホで夜明けまで男女で語り合って始発の駅で別れる」という歌詞のその曲。そのイメージが強すぎて、彼を思い出そうとすると、行ったことなんて一度もない夜更けの街道沿いのロイホの風景が決まって目に浮かぶ。

 ある日昼間学校で会った彼は、私に一枚の紙を押し付けてきた。それは、彼が書いた、いかにも村上春樹が書きそうな、村上春樹風で村上春樹的な、短い小説だった。そのタイトルは『失われた皮むき器について』。内容を読んで私は、彼が当時付き合っていた女の子と別れてしまったのだと思った。あら、あまり性格合わなそうだったもんなあ、とか、かっこいい顔をしているんだからもっといい子がいるよ、とか、勝手な事を頭の中で考えて、私は私なりに彼を励ますために返事の小説を書いた。タイトルは安直に『続・失われた皮むき器について』。村上春樹が書きそうな、いかにも村上春樹風で村上春樹的な、でも私が書いた小説。

 にぎやかな飲み会の隅の少し暗い席で、私は小さく折りたたんだその小説を彼に手渡した。出だしのタイトルを見て私が予想したよりもうれしそうな顔をした彼に、私は「あとで読んで」とささやいた。恥ずかしかったからじゃない、こんなところで読んで感動して泣かれたら困ると思ったから。

 その日おひらきになるときに彼は私に近づいてきて何かを言おうとしていた。だけど無数の酔っ払いたちがそれをはばんで、結局聞くことはできなかった。

   それが彼と会った最後になった。それっきり、唐突に私たちは連絡が途切れた。なぜだろう。彼に渡したあの小説が原因じゃないといいんだけど。

 

 そう思いつつ5年経って、行方知れずだった彼の目撃談が、最近になってついに共通の友だちから聞こえはじめた。あの時に別れたはずの彼女と一緒に、山手線沿線をうろうろしているらしい。

    私はあのときとんでもない思い違いをしていたのかもしれない。彼は失恋なんてしていなくて、私はめちゃくちゃ早とちりの励まし小説を渡したのかもしれない。彼と連絡が取れなくなったのももっと現実的な理由なのかも。例えば携帯をなくしたとか、しばらく用があって実家に帰っていたとか。

 とにかく彼は今も元気だそうだ。大抵のことは、こんなふうにいたって軽やかに、さわやかに、明るく、私の人生とは関係ないところで進行しているものだ。ほとんどのことは取り越し苦労で、だから何も心配することはない。

  だけど私が彼と再会するのは、もう少し先のことになる予感がする。その時まで私はしっかり覚えていよう。たとえ彼が忘れたとしても、あの小説とあの完璧な友情の日々のこと。