ヘイセイラヴァーズ

本、舞台、映画、歌、短編小説、エッセイ、アイドル、宝塚歌劇、など、、、☺

マジで引きずりすぎ(『君の名前で僕を呼んで』感想)

 始めにたくさんの予防線を張らせてください。

 私は同性が恋愛対象という訳ではありません(たぶん)。だから、本当に同性を好きになるという気持ちが理解できるわけではないかもしれない。

 私は腐女子ではありません(そうか?そうか?)。だから、とにかく作品数をこなしているだろう彼女たちよりも考えは浅いかもしれない。

 私はフェミニストではありません(意気地なしなので)。だから本当はジェンダーの問題について軽々しく口を出すべきではないのかもしれない。

 

 だけど私はこの作品を見て、読んで、芸術としてのBLとよばれるものの魅力の秘密に手の先が触れたように気がしている。

 その秘密はまさにこの不思議なタイトルに隠されている。相手の名前で自分を呼ぶ、自分の名前で相手を呼ぶ。こんなふうに自分が相手で、相手が自分で、文字通り溶け合って境目がなくなることができるのはBLの最大の特徴だろう。異性同士はどうしても異なる部分を探るのが楽しかったりもするから、一体感となると同性同士のほうが強いように思う。

 

 「オリヴァーは僕以上に僕自身なんだと、何年も前ベッドで彼が僕に、僕が彼になってから、オリヴァーは人生の紆余曲折を経たあとも永遠に僕の兄、僕の友、僕の父、僕の息子、僕の夫、僕の恋人、僕自身であり続ける」

 

 この言葉にあるように、同性の恋は、恋愛面においての”すべて”ではなく、本当に自分自身の”すべて”であるということがわかる。自分の分身、いや分身よりもっとリアルに、相手が自分自身であるということ。自分と相手のつなぎめがないその広がりと、同時にどこにもいけなさという矛盾が、相反して胸に迫る。それが魅力の源泉だと、私は思うのだけど。