脚本の1ページは忘れ去られて(舞台『薔薇と白鳥』感想②)
「かたいこと言うなよ。芝居なんてどうせ全部うそっぱちなんだから。」
娼婦街のジョーンの部屋にいるマーロウ。手すりにつかまって空を見ている。
そこにジョーンがはしごを使って窓から入ってくる。
マーロウ おい、そんな服着て梯子なんか登ったら破けるぞ。
ジョーン 仕方ないじゃない、ここにふたりでいることがばれるわけにはいかないの。
マーロウ この前だって来てただろ。
ジョーン この前はネッドも知ってたから。私はネッドの妻なのよ。
マーロウ あ~ちくしょう、そうだったよ。
(ふたりで向き合い、変な空気になる)
ジョーン で、どうするの?ウィルを助ける方法を思いついたんでしょ?だから私をここに呼んだんでしょ?私は何をしたらいいの?
マーロウ 待てよ、いっぺんに質問するな。聞かれている身にもなってくれ。
(ジョーン、不服そうな顔をしながらも黙る )
マーロウ 脚本が出来上がったんだよ。
(マーロウ、机の上に脚本の束を投げる。ジョーンそれを拾い上げて冒頭に少し目を通す)
ジョーン これって…
マーロウ そう、ウィルを助けるための脚本を書いた。君にも台詞がある。
ジョーン (脚本を読みながら)うそでしょ…
マーロウ (腕を大きく広げて大げさな身振りをしながら)『一度しか言わない、お前には俺を超える才能がある。』けっこう泣かせるだろ?
ジョーン (マーロウを指差しながら芝居がかった声で)『俺は俺のやり方でケリをつける。』うん。たしかにかっこいいけど彼はうまく説得されるかしら?
マーロウ 俺は説得じゃなくてあいつともう一度勝負がしたいんだ。あいつはどんなアドリブを言うだろうな。
(ジョーンは脚本に夢中で聞いていない)
ジョーン この偽金製造機って、あの時の?まーだもってたの?(あきれて)
マーロウ そう。ここに眠らせておいたアイディアが役立つときがやっぱりきた。なあ、ジョーン。俺たちはうそをついて金に換えてる。俺たちは偽金製造機そのものなんだ。しかもうまくつけばつくほど褒められる。だからつけるうそは全部ついてやる。
(ジョーンは脚本をさらに読み続ける、部屋はだんだん暗くなってくる、マーロウはろうそくの火を見つめながら杯を揺らしている)
ジョーン ねえ、この結末…『マーロウ、スイスへ夜逃げ』って。
マーロウ そう!おもしろそうだろ?
ジョーン それはだめよ。ちょっとマジで危険すぎるわ。
(マーロウ、目を見開きそして大声で笑う。ジョーンは訳が分からず不満げに口を曲げる)
マーロウ 危険?なあ、考えて見ろよ。失敗するかしないか、ぎりぎりを見せるから芝居は面白いんだ。安全な結末なんか誰が観たいかよ。
(マリーは複雑な顔をしていたが自分の昔のアイデアを覚えていてくれたことにうれしさをおさえきれずにっこりしてしまう)
ジョーン ねえ、キッド。あなたってやっぱり天才よ。
マーロウ は?当たり前だろ、俺を誰だと思ってる?ロ…
ジョーン ンドンいちの人気劇作家、クリストファー・マーロウ。でしょ?
(マーロウ、笑ってやれやれその通りのポーズ)
ジョーン もっともっと出し惜しみしないで書けばいいのに。
マーロウ 俺だってなあ、いろいろ忙しいんだよ。
(ジョーンはほほえむ、マーロウは立ち上がって熱っぽく話し出す)
マーロウ だけどこれが俺の最高傑作になる。役者もそろってる。セットもばっちり、(客席の方を見て)観客もこんなにたくさんだ。幕はもうすぐあがるんだ!
(マーロウの目だけが爛々と輝いている。ジョーンは困ったように眉を曲げて、でもほほえんで彼を見守っている。彼がウィルに盗まれない脚本を書くんだと息巻いたときのように)
ジョーン じゃあ、身なりもちゃんとしなきゃ、髭もそって衣装もそろえて、ね。
ジョーンが世話を焼こうとしてマーロウはいつも通り眉間にしわを寄せたままされるがままになっている。舞台はまわり、次のシーンにうつる。
だけど観客はみんな知っている。
台詞を言い終えた役者は、あとは舞台から退場するだけだということを。