ヘイセイラヴァーズ

本、舞台、映画、歌、短編小説、エッセイ、アイドル、宝塚歌劇、など、、、☺

もういいから、踊れ!!(村上春樹ブッククラブに参加して③)

課題図書:『神の子どもたちはみな踊る

 

「神様、と善也は口に出して言った。」

小説はこの一文で終わる。

この場合の神様は何をさすか?

最初これは善也の中の倫理観、価値観、道徳のことだと思っていた。自分の中にいる神様的存在に呼びかけているのだと。自分自身を頼みにするようになったということだと思っていた。

だけど、ブッククラブを通して、その考えに変化があった。この神様は彼の中にいるものではないのかもしれない。

私たちは例えば、自然には逆らえないと言う。そんな風にどうしても、いくら考えても、自分では動かすことのできないもの、揺るがすことのできないものを善也は神様と呼んだのではないか?

いや、だけどそもそも、それを考えている自分自身、この生命って一体なんなのか。ふと思えば自分の存在自体、生命自体が最も猛烈に不思議で、かつ揺るがすことのできないことだ。

だからこの場合の神様は、自然という意味と限りなく近いが、同じではない。自然をも含有した、生命の営みの不思議そのもの。それに彼は神様と呼びかけた。心の中でつぶやいたのではない、口に出して自分の外に向かって呼びかけたのだ。

さくらももこの『コジコジ』という漫画で、コジコジは両親に手紙を書く。だけど両親の住所がわからない、顔も名前もわからない。困っているうちに手紙は風に飛ばされてしまう。その時どこからか声が聞こえてくる。

コジコジ コジコジ てがみありがとう おとうさんとおかあさんは いつもコジコジと一緒にいます 水の中にも土の中にも 木の中にも草の中にも 風の中にも音の中にも空の中にも 光と闇の中にも…それはあなたが宇宙の子だから…」

私たちも一緒で、宇宙の子であり、宇宙という名の神の子だ。妖しげな言い方だけど生命を説明できない限りそれは揺るがすことのできないことだと思う。だから私たちはみな踊らなくてはならない。

そんなことを考えながら携帯を開くと、祖母からメールが届いていた。

 「今朝ねおきて台所に行ったらなにか、黒っぽいものがいる、カエルでした、外に出たいだろうと思ってドアを開けてやったら体の向きを変えて、じっと見てから、ピヨンピヨンととびながらでていきました、あんな小さい体をしてそれなりに、知恵があって、生きている」

私たちは考え続け、踊り続ける。この世のあらゆる事象とともに。私たちにはそれが出来るしするべきだ。だけど祖母はかえるくんとも普通に友だち。そのことがどんなに心強いか。