ヘイセイラヴァーズ

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きょうだいの不思議(映画『未来のミライ』感想)

 

「夢を見ると思い出すもの 丸いおでこ光るあの子

 横になって端に寝るよ いつも愛が漂う」  『兄妹』星野源

 

 私には顔がそっくりな妹がいる。

 年もけっこう離れていて、背丈もだいぶ違う。だけど友だちに写真を見せれば笑われ、買い物に行けば店員に双子かと聞かれ、親戚でさえも名前を間違えがちなくらいの似っぷりなのだ。そしてもちろん、性格が正反対。だからというわけではないが、私たちは今までほとんどまともに話をしたことがなかった。なにも深い家庭の事情があったわけではない、仲が悪かったわけでもない。ただお互いがお互いのことに全く興味を持っていなかったんだね。改めて考えてみたこともない、ただ一緒に暮らしているだけの存在。

 一年前のある日から私たちはたまにオールで話をするようになり、ラインを毎日飛ばしあうようになった。まるで修学旅行のように、恋人同士のように。今まで話していなかった時間を埋めている蜜月期。その理由はディスってもディスられてもいちいちけんかにならなくなったことがわかったからであり(大人になった)、下ネタが通用するようになったからでもある(これは盛り上がる)。そして何より、私たちはお互いのことを、自分自身よりも深く理解しているということに気づいたからなのだ。

 きょうだいにはそういうところがある。いちいち話をしていなくても、どうしてもわかり合ってしまうところ。好きとか嫌いとか仲がいいとか悪いとかの次元ではなく、肌で理解できてしまうところ。それはもう、元カレより自然に、親友より長い時間をかけて、親よりもエグいところまで。生まれた時からいつも視界の隅にいるというのはそういうことなのかもしれない。

 この映画を見て1番納得したのは、妹の名前が「ミライ」ちゃんだったことだ。たしかに妹という存在には未来という言葉が似合う。自分が彼女にとっての未来だという気もするし、彼女が自分にとっての未来だという気もする。これまでもこれからも未来永劫一緒にいる存在のような気がする。

 未来のミライちゃんは言う。現在に戻っていく5歳の兄にもうお別れなの?と聞かれて。

 

「なに言ってんの。これからもうんざりするほど一緒にいるじゃん。」

 

 未来ちゃん、それは違うんだ。きょうだいは意外とうんざりするほどは一緒にいられないものなんだ。お互いの存在に改めて気がつくときは道が分かれるときだから。だけど道が分かれてからが本番。そう思えるのがきょうだいという関係のいちばんすごいところで、心強くて、ちょっとわずらわしくて、一番不思議なところなんだよね。