ヘイセイラヴァーズ

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消えて行ったラブレターたちについて(エッセイ③)

 

 好きな人の下駄箱にラブレターを入れたのは、高校生の頃だ。

 彼は物静かな人で、教室をのぞくといつも本を読んでいた。誰かに話しかけられると本から顔を上げて笑って何か答えていて、その優しさとおとなっぽさに私は憧れた。

 その作戦を決心した朝、私は誰よりも早く登校して、隣のクラスだった彼の下駄箱をそっと開けた。息を止めて目をつぶって小さな手紙を入れてしまうと、階段を駆け上がり、みんなが来るまで教室の隅の方でじっとしていた。変な汗と震えが止まらなかった。こんなことになるなら、「なんの本を読んでるの?」と可愛く話しかけてみたほうが遥かに良かったのではないかとも思ったけど、活字中毒の彼なら手紙という方法を喜んでくれる気がしたのだ。

 だけど結局作戦は失敗に終わった。彼からはなんのレスポンスも来なかった。彼がその手紙をちゃんと見つけてくれたのかどうかもなんの手がかりもなく、フラれたのかどうかもわからなかった。その手紙が誰にも読まれずに下駄箱の奥で朽ちていく様子が目の奥で浮かんでは消えた。そのようにして私の胸には、「基本的に手紙に返事が来ることはない、その内容が大事な要件であればあるほど」というひとつのテーゼがゆっくり浸透して、今も消えることはない。

 

 「皆さんからいただいた手紙を読み返して日々のやる気にしています!本当にありがとうございます!」

 

 ファンレターを渡したことのあるアイドルのブログにこの言葉が不意に書かれているのを見た時、本気で泣いてしまったのは(私がイタイファンだからではなく、笑)きっとその出来事と関係があるのだと思う。彼の言葉を見た時、高校で返事のなかったあの人から手紙を読んだと知らされたような気持ちになった。全く関係のない話だけど、もしかしたらあの手紙も読んでもらえていたのかもしれないと初めて思うことができたのだ。

 私はきっとこれからも手紙を書くことを止めないだろう。好きな人の下駄箱に、伝えたい言葉をつづった手紙を、文字を、そっと入れつづけるだろう。そしてその度にカチャリと軽い音を立てて開いたあの朝の下駄箱の感覚を私は思い出すと思う。