ヘイセイラヴァーズ

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絵の効能(村上春樹『騎士団長殺し』感想)

 目に見えるものをコピーするなら、写真を撮るのがいちばんだと思っていた。目に見えないものをコピーするなら、言葉で表すのがいちばんだと思っていた。だから私は中学校も高校も美術の授業を真面目に受けず、隣の席の友だちとの無駄話の内容ばかりをはっきりと覚えている。無駄話をするのに、ちょうどいい教室のざわめきを。

 大人になってからも、美術に対するそういう気持ちはほとんど変わっていない。たまには知的なデートを、としゃれ込んだ美術館で一番心に残ったのは、同じくらい美術を解しない恋人の大あくびをかみ殺す奇妙な表情と早々に入った休憩室のケーキの薄い黄色のスポンジがそこに飾ってあるどんな絵の色よりきれいだったこと。

 『騎士団長殺し』の主人公は絵描きで、そして大事な登場人物のひとりは、絵の中から現れる。私が一番好きな村上春樹の短編小説『タクシーに乗った男』の成り行きと似ていて、だから私はこの小説がとても好きだ。このふたつの小説の中で「絵」は向こう側の物語とこちら側の現実をつなぐ、窓のような役割を果たす。つらいこと、つまんないこと、やってらんないこと、そんなくっだらねーことばっかりのこの世の中で、例えばずっとなんとなく魅かれていた絵の中の人物が外国で突然自分のタクシーに乗り込んでくるみたいな数秒間、そんな光っている数秒間だけが人生のすべてで、それ以外は全部グレーなのではないかと思う、それでいいのではないかと、私は思う。