ヘイセイラヴァーズ

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この場所で(短編小説feat.映画『ハナレイ・ベイ』)

 ハナレイ・ベイに来て七日目。正直言って、最高だ。二日酔いだろうがなんだろうが、ワクワクしながら目が覚める。友だちも出来たし、英語も少し話せるようになった。こっちで出来た友だちとの写真と、英会話のスキルは日本に帰ってから(モテるために)最大限活用しようと思っている。

 だけどそんなことはどうでもいいくらい、一番最高なのはやっぱりサーフィンだ。日本の海でやるのと何が違うってわけじゃない。特に波を追いかけている時はなにも違いを感じたりしなくて今自分がどこにいるのかも一瞬わからなくなるくらいだ。だけど太陽が上がり始めた朝方の時間に、ボードにつかまって海をたゆたっていてふと顔を上げた時、遠い山の濃い緑とか海の表面の光り方とか、そんなのがやっぱりどうしても違っていて、そういうものの中に一人でいると、自分がその自然の一部であるっていうこと、自然も自分の一部だっていうことがとても誇らしくなる。やっぱりうまくは言えないけど、まあ簡単に言えば今ここで死んだら最高に気持ちいいだろうなって感じるってこと。つまりその感覚がfeel so good ってやつなんだろう。

 あとお気に入りなのは、海までつながっている長い長い上り坂。自転車に乗って、オヤジの遺品のダンボールから勝手に持ってきたカセット音楽プレーヤーを耳にはめて、覚えたメロディーを口ずさみながらその坂を上って、大好きな海が見えてくる瞬間がたまんない。母親はオヤジのことをほとんどなにも話さなくて、とんでもないクソヤロウだったってことだけしか俺は知らない。写真もない。ひどい話だ。だけどオヤジとは少なくとも音楽の趣味は合うんだろうなと、一緒に収まっていたカセットテープのコレクションのタイトルを見たときに思った。母親のピアノが録音されているテープが一本混ざっていたところは、いただけないけど。

 俺にサーフィンを教えてくれた女の子のことをこっちに来てからたまに思い出す。パサパサの髪を伸ばして、冬でも日焼けしていて、だけど丸顔でそばかすだらけでなんだか海に似合わないようなにこにこした子。

 彼女に初めて借りたサーフィンの雑誌を返した時、ハナレイ・ベイのページに強く折り目を付け過ぎだと怒られた。私もお気に入りなんだから、と怒っている彼女の顔を見ながら一瞬、俺は初めて将来ってもんについて考えていた。大した仕事にはつけないかもしれないけれど、ちゃんと働いて、それから毎年このハナレイ・ベイに彼女と、子どもたちとサーフィンをしに来るのだ。だから今も、彼女がここにいればいいのにな、と思っている。この瞬間が、その未来の一部だったらいいのにと思う。でもその気持ちさえもこの場所ではあっという間に遠くに行ってしまって、つかむことは出来ない。

 波が来る。十九歳。子どもでいてもいい最後の年。彼女からも母親からも頭がカラッポだと同じセリフを投げつけられたって、俺は俺だけの場所を見つける。もうすぐ、見つける。来る、波が。

 そいじゃ、さいなら。