FOUNTAIN(短編小説)
長い舞台が決まると、私の生活は俄然規則正しくなる。朝は必ず7時に目が覚めるようになる。だけど今朝はなにか様子が違っている。いつもどおりに布団を足元に折り返して、床にゆっくりと足をつける。このごろ急に寒くなってきている。床はつるつるととても冷たくて、たぶん今日が今年一番に冷え込む日だろうと冷静さを取り戻すために私は思う。見慣れない部屋。ぺたぺたと窓に近づいて外を見ると、そこには中庭があって、真ん中に大きな泉があった。白い大理石でできた女性が大きなカメを掲げていて、そこから水がこんこんと湧き出ている。窓に息を吐きかけると表面が白く染まる。二分後に毛布をずるずると引きずりながら彼が起きてくる。どんな顔をしていいかわからなかったので、私はとても曖昧な笑みを浮かべた。彼はとても冬が似合う。私の隣に立って、さみいー、とつぶやく。
「ねえ」
「ん?」彼は長い前髪のあいだからちらりと私の顔を見た。
「ここどこ」
「ここって?」
「ここだよ、この場所。昨日のこと、全然覚えてないの」
「全然?」
「うん」
「まったく?」
「申し訳ないけど」
もともと色の白い彼の顔は寒いせいかますます白く、ほとんど紙のようだった。でも、目のふちだけがうすく赤くなっていて、私はなんだかそれがとても好ましく思えた。ここは夢の中だよ、と彼はさらりと言った。さっき、さみいーと言ったのと同じような調子で。
「夢の中?」
「うん、そう」
「誰の?」
「僕らの」
「夢…ということは覚めることもできるの?」
「そうしたいのなら」
彼はそう言って、窓に手をゆっくりと押し当てて、鼻を近づけた。
「これは、泉?」
「うん、そうだよ」
「どうしてここにあるの」
「この泉が枯れるまで、僕らはここにいることが出来る」
悪くない、と私は思った。
私の顔はかなり整っている。だから人から誘われて女優の仕事をしている。役を演じることは好きだ。だけど私の本当の夢はバレリーナになることだった。2年前講師だったバレエダンサーとの不倫がばれ、私は追放された。狭い世界なのだ。結局のところ。
今隣にいる、ガラスに息を吹きかけて絵を描いて遊んでいる男だって、本当は親友が五年間片思いしている人だ。もう一度私は彼の顔を見る。彼もこちらを見る。ウェーブがかかった長い黒髪。太い眉に奥深い目。薄くて赤い唇。その唇がゆっくりと動いて私の名前を形づくる。その時私は家族より友情より、過去より未来より今、目の前に現れたこの人を選ぼうと決心した。この大きな泉が枯れて無くなるまでずっと、彼と一緒にいてみようと思った。何がそう決心させたのかは、私にはわからない。