ヘイセイラヴァーズ

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芸術家の条件(映画『ライ麦畑の反逆児〜ひとりぼっちのサリンジャー〜』感想)

幸せな人間は芸術家になることができない

 

 J.Dサリンジャーという作家がいる。『ライ麦畑でつかまえて』、『フラニーとゾーイ』、『ナイン・ストーリー』などの物語を残す。彼の人生についての映画『ライ麦畑の反逆児』のエンドロールの直前、ほとんど一番最後の言葉としてナレーションは冒頭の言葉を言う。彼は文字通りに身も心も「書く」ことだけに純粋に捧げた作家だということを、私はこの映画を見て知って、それに至る経緯(失恋、戦争、東洋思想への傾倒)に納得する。ヴォイスが物語を追い越さないように、苦しみながら次の言葉を探して、タイプライターを叩くその指、音、灰皿に積み重なる吸い殻。

 L.Mモンゴメリという作家がいる。『赤毛のアン』、『かわいいメアリー』、『青い城』などの物語を残す。彼女は若い頃から小説を書き続ける。結婚相手が牧師だったためにその仕事を手伝い、親の面倒を見、良い娘であり、良い母であり、良い友人であり、その上で作家であった。美しい自然、綺麗な服や夢を描いた。作家でありながら自分の人生を味わって生きた(私はとても憧れている)。

 この映画のサリンジャーを見ながら、なぜだか彼女のことをずっと思い出していた。人生のすべてを捨てて書くことだけを残したサリンジャーと、人生のすべてを引き受けながら書き続けたモンゴメリ。このふたりの作家のあり方は正反対のようでいて同じなのではないかと感じていた。映画の中でサリンジャーの教授は小説家を目指していた彼に「自分が読みたいと思う本をイメージしてそれを書け」とアドバイスした。このふたりのイメージした「自分が読みたいと思う本」の姿が随分違っていただけで、彼らはどちらも自分に対して、自分に必要な物語を語り続けたということ。

 

幸せな人間は芸術家になることができない

 

 そうだろうか。私は決してそうは思わない。ただ、「幸せになるためにそれを作ることが必要不可欠な人しか芸術家にはなれない」のだと思う。芸術家も幸せになることができ、そして事実幸せだったのだと思う。それは、サリンジャーを見ても、モンゴメリを見ても。