ヘイセイラヴァーズ

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おみやげばなし(短編小説feat.『海辺のカフカ』)

 ホシノちゃんが私に電話をかけてきたのはその日真夜中を過ぎてからだった。

 どこかの街中からかけているらしく雑音だらけで声がとても聞き取りづらい。

「俺っち、ものすごい冒険をしてよお」

 そう得意げに話し始めた彼の話を受話器を膝と耳の間に挟んで赤いペディキュアを塗りながら聞く。だけどペディキュアが塗り終わっても、それが全部乾いてもなお、意味不明な彼の話は一向に終わらなかった。私は壁にかけているスヌーピーの絵が入った時計を見て、短針がスヌーピー、長針が安心毛布がないと眠ることができないキャラクターを指しているのを確認し、彼の話が一瞬途切れたところで口を挟む。

「その話、長くなるんならうち来る?」

 しばらく電話の向こうが静かになる。そして彼はとてもとても小さな声で言う。

「行くのはいいけど、俺っちは前会った時とは随分違っているぜ」

 私はため息をひとつついてから答える。

「来るのはいいけど、今日はやらないからね」

 

 ホシノちゃんが家に着いたのは明け方近くになってからだった。

 散らばった雑誌や洋服を拾って元の場所に戻し、クッションカバーのホコリを払い、食器を洗って棚に戻してから、ソファに座って待っていたが彼はなかなか来なかった。きっと「やらない」と宣言したから来るのをやめたんだろうと判断してふとんに入って、うとうとしかけたときにちょうどチャイムが鳴った。私は起きあがって玄関を開ける。変な睡眠のせいで身体の表面がうすら寒い。

 遅いと文句を言おうとドアを開けた私はそこに立っているホシノちゃんの姿を見て文字通り言葉を失う。トレードマークの野球帽もかぶっていなければアロハシャツも着ておらず頭の後ろにポニーテールも揺れていない。そこにいるのは髪の短い、地味な色のポロシャツを着たただの青年だ。彼は私の驚きに満足した様子で、私の横をすり抜けて部屋に入っていく。

 それから結局彼は夜が完全に明けるまで話し続けた。私はすっかり変わってしまった彼の見た目のせいで、全く知らない人を家にあげて話を聞いているような奇妙な感覚をずっと抱くことになった。だけどこの数ヶ月で、彼がどのような人と出会い、どのような場所に行き、何をしたのかについての話を、黙って辛抱強く聞いているうちに、眠気も手伝って、もう彼が本当は誰かなんてどうでもいいじゃないかという気持ちになってきた。

 突然、彼が私の目を見て、にっこりと笑った。話が終わったのだ。そしてその次の瞬間にはソファの上に小さく固く丸まって眠りはじめた。声をかけても揺すってみてもまったく起きそうになかったので、私は彼の身体に毛布をかけて寝顔を覗き込む。さっきまでは別人のようだったが、ゆっくりとよく見てみると彼はポニーテールだった時のホシノちゃんの顔をしていて、当たり前だけど少し安心する。ホシノちゃんの顔には新しく始まる一日の最初の光が差している。

「あとのことは私がなんとかするから、寝たいだけ眠りなさい」

 私はそうつぶやいていつまでも彼の顔を見ている。

 彼が私を選んで電話をかけてきたことが、本当はとてもうれしい。