はぐれないために(東京大学入学式祝辞を読んで)
私が怖かったのは、「退屈な」奥さんになることだった。そんなことはありえなくて、そう見えるとしたら見た方の想像力が足りないということが今ではわかる。だけど、何者にもなれていない自分のままで、たとえば誰かの奥さんとかになってもいいのだろうかと思っていた。そんなことをしたら、いつかどこかで自分を見失ってしまうのではないかと思っていた。誰かの手を離してしまうみたいに、自分自身を手放して。
東大の祝辞を聞く。短いスピーチの間に、数えきれないほどの鱗が目から落ちるのがわかる。きらきらと。
「女子が選ばれるには、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれている」と彼女は言った。
「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想である」と彼女は言った。
そのひとつひとつをつないで、つないで、私がこの祝辞の言葉からすくい取った一番強いメッセージは「思考することをやめてはいけない」ということだ。自分が出会った物事に対して、それを味わうこと、何かを感じること、そして立ち止まって考えることをどんな境遇におかれてもやめてはいけないということだ。
私が考えることをやめたとき、そのとき私は本当に、「退屈な」人間になってしまうということ。
この祝辞は私に対しても贈られている。いつか自分を手放しそうになったとき、私は何度でもその思考の裾を握り直そう。たとえその場所が大学でなかったとしても、私が何者にもなれないとしても。