ヘイセイラヴァーズ

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今年の夏もよく雨が降った(映画『天気の子』感想)

 彼は東京に来て「そういえばもう息苦しくない」と言う。

 

 なぜ?朝と夜の満員電車、人は多く居場所は狭く、歩いていると絶え間なく物欲を刺激される街。

 なぜ?ビルは汚く路地裏は暗く、いつも周りと自分を比べ続けなければならない街。

 

 私にとっては東京は息苦しい街だ。

 

 だいたい私は、帆高の持ち物に「キャッチャーインザライ」が入っていたところから嫌な予感がしていたのだ。ホールデンを真似して田舎から出てくるやつには大抵ろくなやつがいない。私とは気が合わない。ホールデンを真似をして憧れの都会で、今まで見たことのない大人に出会って、ひとりで暮らしてみて、そして運命の女の子に出会って、ひと暴れしたら、お前絶対大人しく帰れよなと思いながらずっとスクリーンを見ていた。

 

 それでもなぜ私は泣いてしまったのだろう。

 帆高の恋に感情移入したわけではない。子供たちの絆に感動したわけでも絶対にない。それは彼を取り巻く大人たちに対する涙だったと思う。大人は「世界の秘密」は知らないかもしれないが、帆高よりも確実に一枚上手だ。それはきっと「失う」ということを知っているからなのだ。

 

 ここまでして会いたいと思える人がいるのは素晴らしいとか、そう思うのは簡単だが、それだけの問題ではないと思う。陽菜を失うまいと、チャンスを逃すまいとする帆高の気持ちをわかって、痛いほどギリギリまでわかって、それでもなお突き放すこと、ぶつかること。そして家族として目をつぶって背中を押すこと。そのそれぞれの大人たちの反応のすべてを私は愛と感じたのだ。

 

 それにしても私は最高にクールな大人になったものだ。望んでいたにしろ望んでいなかったにしろ、もう少なくともただの迷えるホールデンではなくなったみたいだ。

 どんな大人もやっぱりどこかで「愛にできることはまだあるか」と心の中で問い続けているような気がする。大人になった私が言うのだから間違いない。映画館の外、久しぶりの晴れの空の下で笑う彼を見て私はそう思った。