ヘイセイラヴァーズ

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好きの理由(宝塚宙組『オーシャンズ11』感想)

 私は目立つことが好きだった。

 例えば、重いカーテンが引かれた暗い体育館で、照明を浴びて演じること。

 私がセリフを言うたびに、客席は笑って沸いた。その快感、客席の反応に応えるように高まっていく自分の集中力。その感触を今でもはっきりと私は覚えていて、そしてベールの向こう側にある演技の魔法を一瞬かいま見た気がする。

 例えば、暖かい踊り場で踊った土曜日の午後。

 流行りのアイドルの曲を友だち同士でカバーして、ダンスを覚えて踊った。面白がって携帯で撮られた写真や動画は今となっては誰の手の中にどれだけ残っているのか、私には知ることができない。

 あのままで大人になっていれば、私は今頃女優かアイドルになっていたはずだ(鏡を見ずに言えば)。

 だけどそうもいかずに、十代の終わりにあれよあれよと思考をこじらせた私は、自分を表現して誰かに見てほしいという気持ちと、それを大切に隠しておきたいという両方を、微妙に抱え続けることになった。今でもずっと。

 『オーシャンズ11』はそんな半端な気持ちがぶっとぶ作品だ。とにかく演じることが、歌うことが、踊ることが楽しくて仕方ない。この一瞬に自分の人生のすべてを賭けてもいい。本気でそう思って舞台に立っている彼女たちの気持ちが伝わって、だからいつのまにか見ている私も必死になる。動き回るその「キラキラ」を捕まえて目に焼き付けようとして。

 私はタカラヅカにその「キラキラ」を集めに行っているのかもしれない。衣装やメイクのキラキラだけではない、現実にはありえない美しい恋物語が持つキラキラだけではない。それは舞台にいるひとりひとりの一途な気持ちに宿っているもので、決して形には残らない。だけど目を閉じると私はいつでも思い出すことができる。無数に降り注いでいたあのキラキラたちを、そしてそれを発していたたくさんの人間たちのことを。

 タカラヅカは、目立つことが何の屈託もなく好きだった小さい頃の私の、憧れそのものだ。あのキラキラはまさに、小さかった私が手に入れたかったものそのものだ。だから私はどうしようもなくタカラヅカに惹かれるのだ。

 今でも羨ましいと思う。ダンスや歌や、自分の身体が発する力で人の気持ちとつながれること。

 だけど堂々とそれを見に行くことができるようになったのはきっと、私が今の自分の生活を好きになり始めているからなのだ。あの時思い描いていたキラキラとは違うけれど、彼女たちと同じようにここまで戦ってきた自分の手の中にあるキラキラを認め始めたからなのだ。