ヘイセイラヴァーズ

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マジョリティの意見を聞いて?(ドラマ『アンナチュラル』感想)

 豊作と評される今季のドラマの中で、視聴者満足度ナンバーワンは『アンナチュラル』だったと聞く。私もご多分にもれずそう思う。マジョリティ万歳。

 ストーリーとかトリックのおもしろさはもちろん、このドラマはものすごいバランス感覚で成り立っていたと思う。”両極端”が詰め込まれていたという感じ。

 例えば、食欲が失せるようなグロテスクな死体と解剖シーンの連続。それと同じくらいこのドラマでは登場人物たちの食事シーンが出てくる。しかも、ほぼ肉。大口開けて肉を喰らって、酒を飲んで、好き勝手しゃべって。そんな恐ろしいくらいの死と生の対比、とか。

 例えば、六郎(窪田正孝)のミコト(石原さとみ)への淡~~い憧れの気持ちと、中堂さん(井浦新)の復讐に形を変えた恋人への激しく燃え上がる気持ちの、恋と愛の対比、とか。

 そしてなんといってもUDIの美女ふたりの正反対に振り切れている魅力よ。

 第一話で石原さとみ市川実日子が同じ画面に収まっているのを見た時、違和感が半端じゃなかった。こんなに同じ空間にいるのがオカシイ組み合わせってある?

 なんといっても体現する美人像が違っている。キャラクターとしての性格とか衣装はそう設定されているんだろうけど、素の彼女たちがにじみ出すオーラの徹底的な違い。それはメイクにも表れていると思う。石原さとみは色をほとんど使わない、艶とか潤いの質感重視の均一な美しさ(ほんと綺麗)。一方市川実日子は乾燥肌におしろいを無理やり塗ってそばかすとか細かいシワはそのままに、ピンクのチークとか口紅とかキラキラアイシャドーを差したチャーミングな仕上がり(ほんっと綺麗)。

 この正反対なふたりの絆が確認された第六話「友達じゃない」が、一番好きだ。学生時代に同じクラスにいても絶対に会話していないだろう二人が友達以上になる「仕事」ってもんの良さに気が付けて。

 

 「死ぬのにいい人も悪い人もないんです。たまたま死ぬ。たまたま生きてる。だから生きている人が死を忌まわしいものにしてはいけない。」

 両極端にぐらぐら引き合うこの天秤のまさに支柱として真ん中に立っている神倉さん(松重豊)の発言はだから重みが違う。

 両極端を知り、束ねる役割の彼の発言を聞いて、私たちはこの多様性こそが、豊かさ、可能性、そして生きているということなのだと気付く。

 にがくて重苦しいテーマと、それに押しつぶされないために笑う大人たち。

 そんなドラマの最後に。

 「夢ならばどれほど良かったでしょう 今だにあなたのことを夢に見る」

 そんな歌を歌われたら泣くでしょう。そりゃ誰だって泣くべ。

 泣いているのも生きている証なんだから。