ヘイセイラヴァーズ

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ベランダから(短編小説)

 うちにいる間、彼は夜中によくベランダに出て夜空を見上げていた。

 夏はTシャツ一枚で、冬はわざわざダウンコートを着て。

 彼が髪を結ってくれるときの手だったり、ケータイを触っている時の真剣な表情だったり、他にもたくさん思い出はあるはずなのに、目を閉じて頭に思い浮かぶのはベランダにいる時の横顔だけだ。半分は前髪に隠れ、もう半分は影になっている横顔。

 明かりのあるリビングから離れ、ひとりで暗がりに向かう彼の後ろをたまについていくと、目に入るのは丸まっていて意外とゴツゴツした背中。こちらを見て微笑み好きだと言ってくれるけれど、次の瞬間には彼の目に私はもう写っていなくて、そのことをまるで彼自身も悲しんでいるみたいだった。彼がいなくなる予感、がいつからか私たちふたりをゆっくりと包んでいて、そのままでいたらいつのまにかすっぽりと身動きが取れなくなってしまった。だけどそれでいいということを伝えるために私は彼の頭を何度もなで、彼はゆっくり目を閉じてベランダの縁にあごを乗せた。

 いつものようにふたりで並んで立っていた昨日の夜、彼が夜空に向かって口ずさんでいた歌を、私は悲しすぎてこれからもう二度と聞くことも歌うこともできない。

 それが、最後と知らずに最後になってしまった夜だったから。時が止まればいいとは思わない。むしろどんどん流れて、もっともっと遠くへ、私がもう追いかけられないくらい遠くへ、彼を押し流していってほしいと思う。ここで立ちすくんでいる私をあなたは優しいから振り返ろうとするだろうけど、どんどん先へ、見えなくなるまで遠くへ、そのまま勢いに乗って。もう一度彼に会えると言われたって、私はきっと断ろう。そのことを思うと私は悲しくて悲しくて、そしてほんの少しだけうれしい。