しきつめられたマリーゴールドの上で(映画『リメンバー・ミー』感想①)
ミュージシャンは、この世で一番才能が必要な職業だと思う。
まずもちろん歌はとびきりうまくなくてはならない。さらに何かしらの楽器ができて、メロディも思い浮かべば詩のセンスもあって、そしてビジュアルも人並み以上に良いか個性的でなければ、なれない。(最後の項目は親友が横で猛反対していますが、ほっとく。)
ミュージシャンはこの世で特別、ものすごい才能がある人しかなれない。そう思う。思ってた。この映画を見るまでは。
私は音楽の才能がないので(ピアノ歴十年、合唱歴三年にもかかわらず!上達しない!)もはやミュージシャンに憧れたことすらない。だけど最近音楽の〝素晴らしさ〟とかを感じる機会がやたらと多くてだな。
前に見た映画では登場人物たちが音楽を奏であって仲直りした。ドラマを見ていても切なすぎる挿入歌がきっかけで涙がこぼれる。音楽は人々の心に届く。散文はいらない。小田和正もインタビューで言っていた。音楽は誰かの耳に入る、その人が意識していなくても。だからメッセージが届きやすいんだ、と。
そうだね、確かにミゲルもだからこそ音楽を夢見てた。デラクルスのように多くのひとびとに好かれるミュージシャンになることを。そしてミゲルにはその才能がある。きっと夢は叶うだろう、ハッピーエンド。
だけどちょっと待って。そんな話だっただろうか。最後の最後に1番力を持っていた音楽はなんだったか。ヘクターが娘のココのために歌ったリメンバーミーだったじゃないか。
観客の人数は関係ない。ヘクターがたった1人の観客のために歌ったリメンバーミー、ミゲルが秘密基地で自分自身のために歌ったリメンバーミー。その音楽には特別な何かがあった。励まし?愛?そんな形をした、魔法。
例えばカラオケで酔っ払いが歌うめちゃくちゃな曲でも、あなたが今歌っている鼻歌でも。リメンバーミーのような優しい音楽も、そしてデラクルス的に派手な音楽も。きっとすべての音楽は誰かのために奏でられてる。それができるのは特別な誰かだけじゃない。
あまりにも大きな力を持つ音楽とそれを追求する先人たちの眩さに私はただただ身を委ねるだけだ。これまでもこれからも。なんの屈託もなくそれができるから音楽の才能がなくてよかったとすら思う。
だけど、その気になれば私もミュージシャンになれること。下手くそな歌で、足踏みのリズムで、片手だけのピアノで。ミュージシャンになるのに才能はいらない。音楽を奏でる時、誰もが誰かのミュージシャンだ。マリーゴールドの花びらの上でミゲルが優しいギターの音色と歌声を使って教えようとしてくれたのはきっとそういうこと。ミゲルどう?合ってるかな?ほくろのある彼の口元が、いたずらっぽく笑っているのが見える。