ヘイセイラヴァーズ

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ページを開かなければ誰も知ることはなかった(小説『君の名前で僕を呼んで』感想)

 「映画を見る前に読むべきか、映画を見てから読むのか、どちらがよいのか誰にもわからない。」

 帯のこの惹句は正しいと思うが、映画を気軽な気持ちで見てしまった私は、選ぶ余地なく原作の小説を映画の後に読むことになった。映画のエリオはその美貌を大きなスクリーンから垂れ流すだけで自分の思いをあまり語らないから、全編エリオ目線で語られるこの小説は、映画の中のエリオがその美しさの奥で何を考えていたのかという答え合わせのようだった。

 その答えを以下に順不同で。

 

 

 僕を好きにして。奪って。いいのかと僕に訊いて、返事を確かめて。僕にノーと言わせないで。お願い、僕を傷つけないで。何か言って。ちょっと手を触れて、オリヴァー。僕を見て、僕の目に涙があふれているのを見て。夜に僕の部屋をノックして、君のために少しドアを開けておいたのに気付いて。部屋に入ってきて。僕を奪って、服を脱がせて、めちゃめちゃにして、僕に目隠しをして、手を取って、考える事は要求しないで。服を脱いで、オリヴァー、そしてベッドに入ってきて。君の素肌を感じさせて。髪に触れさせて。足を僕の足に載せて。たとえ、何もしないとしても、君を抱き締めさせて。夜の闇が広がったら、不安な人達の物語を読んで。やめないで、やめないで、お願いだからやめないで。やめたら僕を殺してくれ。一度だけでいい、冗談めかしてでも、ふと思いついてでもいいから、振り返って僕を見て。そして、僕を君の名前で呼んで。

 

 

 どのページからも溢れてくる、欲望の言葉たち。吐き気がするほどの、頭がくらくらするほどの、むせかえり息が苦しくなるほどの、たくさんの要求たち。相手に何をしてほしいか。小説の中でエリオはずっとそんなことばかりを考えては身を焦がす。映画を見て私たちが感じた以上に隙間なく。

 相手に何かをしてほしいのが恋、相手に何かをしてあげたいのが愛。恋と愛の違いをそう定義する人がいる。もしそれが本当だというならば、エリオのこの言葉たちは、彼が正真正銘のまぎれもない恋をしていたことを裏付ける。そして、彼らに未来がなかった理由も、他でもなくそれで、相手に望むばかりの恋が愛に変わる見込みがなかったからだと私は思う。

     あんなに常に求めていては、求められていては、彼らはきっとどこにも行けない。だからやっぱりこの恋は、恋のままであの夏に閉じ込めてしまうしかなかったのだ。一冊の本の中に、閉じ込めてしまうしかなかったのだ。