ヘイセイラヴァーズ

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八乙女光に魅せられて(舞台『薔薇と白鳥』感想③)

 

クリストファー・マーロウはかわいそうな男だ。

最後に殺されるからじゃない。

ずっとずっと、かわいそうな男だった。

なぜだろう?

 

金がなくて、知り合いに無心し続ける情けない男。

住むところもなくて、酒場で仕事をするまでに落ちぶれた小汚い男。

好きな女すら、生理的に抱くことのできない男。

尻の穴に焼きゴテを突き刺されて死ぬヘンリー王に共鳴してしまう男。

いつも自分がよりたくさん傷つく方を選んでしまう男。

 

そう、だけど彼には演劇があった。

脚本があり、文学があり、物語があった。

彼はそれらを愛し、愛され、そして最後の瞬間までそれらを楽しんで死んだ。

それは彼にとって”人生”を楽しむことと同義だった。

 

彼はあんなにしゃべり続けているのに、その言葉は私たちの胸にまで届かない。

彼の言葉はすべて“台詞”だったから。

だってそうだろう?

彼の言葉はあまりにも、ひとつひとつが完璧で、美しすぎて、かっこよすぎた。

 

彼にとって、周りの人間はすべて役者だった。

彼の目の前の舞台に登場して台詞を言う登場人物にすぎなかった。

だけどそうだろう?

私たちは誰もが演技を続けている。どこからが演技で、どこからが本物かなんて境界線は、本人しかわからない。本人にすらわからない。

 

だけど彼の生きる姿は、不思議と心に残る。

それはそうだ。

うそっぱちの台詞と人間たちで、どれだけ人の心を動かせるかが彼の仕事で、生きる意味で、人生だった。彼は優れた劇作家だった。

 

演劇に身も心も捧げて、そしてそれと心中した彼は、幸せだったのだろうか?

確かに最後の最後まで自分の脚本通りに物語は進み、それを彼は楽しんだだろう。

ライバルで同類のシェイクスピアからのアドリブ付きで、好きな女の大根芝居とともに、優雅な薔薇の衣装を着て、最高の舞台を演じただろう。

 

だけどだからこそ、私は彼をかわいそうに思ってしまう。

オチを知らない人間こそが、本当に芝居を楽しむことが出来ると思うから。

誰より芝居を愛した彼は、芝居しか愛することのできなかった彼は、本当に芝居を楽しめたのだろうか?

 

そんな事を言ったら彼はきっとこう言うだろう。

「俺の人生だ、好きにさせてもらう。」

わかった。もちろん異論はない。

だけど私は絶対に忘れない。忘れられない。

ナイフで心臓を刺された瞬間の彼の顔。

その時、貴方は何を見ていた?