ヘイセイラヴァーズ

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その微笑みはまるで(宝塚宙組『異人たちのルネサンス』感想)

 真風涼帆の歌声を聴くと涙が出そうになる。

 自分の思いをあまり言葉に出さずに、いつも素敵な微笑みを浮かべていて、そうやってそこにいることがみんなにとって当たり前のような、物静かなトップスター。

 彼女は今までも、これからもどんな思いを自分ひとりの中に抱えているのだろう。そんな風に感じてしまうのは、彼女の役作りのためなのだろうか。彼女が演じる男性はいつも、あらゆる感情を、人目にさらすのにちょうどいい程度に抑制している人物のように思う。まるで空調の設定を変えるように、時と場合に応じて、感情を微妙に調整し続けているようなひと。歌声にもそれは現れていて、彼女はなにかを押し殺すように、奥歯で息を噛みしめるようにして発声する。視線は伏し目がち、私たちを安心させるように小さくうなずいてみせながら。その様子は、切ない。切なくて、私は彼女の歌で泣くのかもしれない。

 『異人たちのルネサンス』の舞台パンフレットの見開きには、レオナルドとしての彼女の写真が載っている。ベッドに横たわって、なにかを考えている様子が上から撮られている。それはどことなく、だけどどうしてだかとても親密な雰囲気の写真だ。左手には鉛筆、茶色く光っている短い巻き髪と炎のような野草のような模様が刺繍された洋服の首元は少し乱れていて、視線は画面の右上の方をさまよっている。そう、視線。あと1秒長く見つめていたら、こちらを見てくれそうなのに、今この瞬間には絶対にこちらを向かない瞳。あと数ミリ動かしてくれれば触れられそうなのに、決して動くことはない手。それは写真だからではない。彼女の男役はいつだって、あと少し、もうちょっとだけと思わせるもどかしい手の届かなさ、曖昧さで私たちを焦らす。

 

 劇中でレオナルドが歌う「その羽根広げれば自由に空を飛べるのに」という歌詞は真風自身に向けられているように思う。自由に空を飛べる力があるのにあえて陸に留まっているような少し哀しそうな彼女の微笑みは、見る人の心を打つ。まるでモナリザの微笑みのように。