ヘイセイラヴァーズ

本、舞台、映画、歌、短編小説、エッセイ、アイドル、宝塚歌劇、など、、、☺

白いジャケットの背中を追いかけて(有栖川有栖『インド倶楽部の謎』感想)

 火村英生は私の理想の男性。冷静で頭が良く鼻が高くて若白髪で女嫌い、だけどモテる。猫好き、アリス好き、おばあちゃんキラー、暗い過去を抱え、ケンカは強く、酒には弱く、口は悪いが、大真面目な顔で冗談を言う。仕事のしすぎでいつもボロボロ、考えるときに唇を触る癖と頭をかく癖、そのすべてがとてもセクシーだ。

 私と彼の出会いはまさに運命だったと思う。忘れもしない、その日、本屋の棚をなんとなく見ていた私は『乱鴉の城』の背表紙を見た瞬間にビビビと電撃が走った。平積みでもなく表表紙でも裏表紙でもない、背表紙のそのそっけないそのタイトルの活字の並びを見た瞬間にまさにヒトメボレしたのだ。これを運命と言わずに何を運命と言えるか?

 このシリーズがなぜこんなに好きなのか、考えてみると私にはふたつ理由があるように思う。まず科学と非科学の融合。揺るがし難い鉄の推理が繰り広げられる一方で、どうしてもそれだけではわりきれないものが物語の中に必ず存在する。それはあるときは文学や詩、そして芸術や風景。今回は「前世」という存在が物語を通してその役割を担っていて、それが彼らが出会う事件の物語としての豊かさやゴージャスさを演出している。だけどなによりも、いつでも最も割り切ることができず、いくら推理しても答えがわからないのは人の心であるということを火村も相棒のアリスもよく理解していて、だけどそれでも少しでも真理に近づこうする彼らの姿がとても素敵だ。

 もうひとつは小さな女の子を絶対に犯人にしないところだと思う。どんなに少女が犯人として怪しい場合でもギリギリのところで彼らは彼女たち以外の本当の犯人を見つける。彼女たちは火村とアリスにとってヴィーナスのような存在で、罪につながるような複雑な心を持ってしまう前の純粋な天使として(小学生から大学生くらいの利発な)少女が多く描かれる。火村が彼女たちに優しく公正に接している姿を見ると、彼にはもしかしたら妹がいたのかもしれないなといつも思う。そしてその妹が彼の抱えている秘密の過去に大きく関係しているのではないかと。もう火村にとってのヴィーナスになれる年齢を過ぎてしまった私だけれど、だからこそ私はいつでも言ってあげたいのだ。彼が悪い夢を見て飛び起きる夜中にいつでも横にいて、水を持ってきて額の汗を拭いてあげて大丈夫だよと、言ってあげたいのだ。それはヴィーナスには決してできない仕事だと思う。(そう言う意味ではその姿を見ることをすでに許されているアリスは私の永遠のライバルだ。)

 私にとって唯一の名探偵火村、そして悲しき同志のアリスに私はこれからもずっとついていこう。

先が見通せるほどに透明な(宝塚雪組『ファントム』感想)

 望海風斗ファンの友人は、あの美貌でも歌声でもなく、そんなふうに完璧な人なのに「ピュアゆえにいつのまにかダメになっていく男」が似合うというところに惚れているそう。普段とても真面目な彼女のその発言に、隠されていたフェチを見てしまったようで一瞬固まった私だったが、『ファントム』を見ると彼女の言っていた意味がよくわかった。

 望海風斗が演じるオペラ座の怪人であるファントムは、怪人という異名に似合わずとてもピュアな人物で、それなのに一つも救われることなく滅びていく。

 

お願い 顔に隠された魂に触れてクリスティー

 

 そう歌う彼の魂は確かにとても美しく、だけどまさにこのピュアさが私にはひどく悲しく思える。なぜなら彼の持つそれは、人々や社会の間で揉まれて磨かれて輝いているものではなく、むしろその逆で、誰にも傷つけられることなく触れられることもなく、綺麗なままでただ打ち捨てられていたことによって保たれていたものだからだろう。そのピュアさゆえに、自分が求めている方向と現実がどんどんずれていってしまい、最終的に取り返すことができなくなるくらいに堕ちていく彼の姿はとても切ない。

 だが彼だけではない。この物語に出てくる人物たちはみんなピュアで魂が美しいと私は感じる。骨の髄まで腹黒い人がいない。悪役はあくまでもまっすぐに悪事を働き、王子様は常にキラキラと輝きを放つ。一体なぜなのだろう。それはきっとこの物語の舞台が「オペラ座」であるからではないか。無数の物語が、架空の世界が、夢のような歌声が、寄せては返すその場所に集う人々は、それらを愛しているという点で心のどこかで連帯していて、そのことが性格は違えど登場人物たち全員が一貫してもっているまっすぐさにつながっている。そしてそこにはもちろん、オペラ座の地下に住み着き、誰よりもオペラ座を愛したファントムも含まれていて、だから同じものを愛するもの同士、彼らはもっと理解し合えたはずなのだ。「ストーリー」という名の本物の怪人が住むそのオペラ座できっと。

頭の中の君はまるで(Hey!Say!JUMPライブ感想)

 ダンスのコンテストでプロが卵たちにアドバイスをしていて、その内容というのが「技術が同じくらいのレベルの人たちの中で頭ひとつ抜け出すには、どうしようもなく痺れる、忘れられないくらいにかっこいいシルエットなり表情なりがパフォーマンスの中にあるかどうかという魅せ方が重要」というものでとても感銘を受けたのだけれど、それが本当ならば彼らはやっぱりものすごいプロフェッショナルだった。

 私が頭から離れないのはメンバーが三列に並び、全員でジャケットの肩を外して半脱ぎ状態で音に合わせて左右に揺れるという振りで、それの何が良いかというと、その振付が終わると思ったタイミングからさらに数ビートその動きが続くというところなのだ。いわばフェイントですね。女の子はフェイントに弱いですね。

 ライブを頭の中で思い出すときにこの一つの振付の映像を中心に全体の記憶が広がっていくので、一瞬の力、その集中力と瞬発力は本当に大切なのだとわかる。脳内にジュッと焼きゴテを押し付けられたようなひと場面。雷で打たれたようなその衝撃。

 そしてそういう一瞬にすべてを賭けるという気持ちはファンも一緒で、ライブのために髪型を考え、洋服を考え、席はどこか、周りに同じメンバーが好きな子がいれば無言のエールを送り合いまたはジャブを打ち合い。こっちが出演するわけでもないのに意味もなくメイクを直し、席に座ってみたりペンライトの調子を確かめてみたり。集まった全員がそんな感じで、あんなにわくわくが集結した多幸感のある空間はちょっと他にはないのではないかと思う。

 だけどまあそんなことを落ち着いて思い出せるようになったのはやっと最近で、直後はまさにビタミンC注射をバッチリキメたあとという感じ。私のその日の日記のページにはただ一言「銀杏」と絶筆のように書き残されていた。きっと彼らの身体が小さくてぎゅっと引き締まっていて、そして笑顔がツヤツヤだったということを言いたかったのだろう。イケメンは劇薬だなあ、あんまり乱用してはいけないなあ、しばらくはきしめんみたいな男の子の顔を眺めて暮らしていこうと心に決めた私であった。

プリンセスの変貌(映画『シュガーラッシュオンライン』感想)

 好きな男性のタイプを友人と話していて、本気でケンカになりそうになったことが一度だけある。友人は「しっかりした性格でお金と学歴があるひと」が好きだと話した。私は「自分が好きなことをしていて顔がかっこよくて年下」が好きと言った。ケンカになりそうになったのは意見が対立したからではない。彼女が私のタイプを聞いた瞬間に「でもアンタだって結局いつも私と同じ堅実なタイプを彼氏に選ぶじゃん」と言ったからである。

 私がその言葉にカチンときたのは結局核心を突かれたからなのだと思う。口ではめちゃくちゃなことを言いながらも最終的には安定を選択してしまう私の性格を真っ向から指摘されたように感じたから。

 それにひきかえ、この「シュガーラッシュ2」の主人公の女の子ヴァネロペは強い。安定よりもスリルある自分の夢を選ぶ。これまで自分が手にしていた愛を捨てる。それはそれはあっさりと。エンディングまでその選択にはなんの妥協も救いもない。選んだ人生があり、それによって捨てられた側がある。その鮮やかな姿は衝撃的で、その点においてこの映画は女の子にとって強力なアジテーション映画であると思う。

 私は自分の夢を、そして大切な人が抱える夢を応援したいと思う。だけどそこにもしこれまで大切に思っていたことが含まれないとしたら?私は”運命”というものが怖い。その人の意思とは関係なく、巻き込み飲み込む抗うことのできない強い力。なにかを差し出さざるをえないそれに出会ってしまうことが怖くて、そして怖いからこそ、強く憧れてしまう。惹きつけられてしまう。

 だけど、と私は思うのだ。私たちはもう大人。出会ってしまった運命と今抱える現実のバランスをつけることができるのではないかと。力技でネジ伏せてその両方を取ることができるのではないかと。ヴァネロペがラルフにテレビ電話をすることでその関係を保っているように。

 とにかく私は全国の女の子に伝えたい。どんなエロ映画よりホラー映画よりこの映画は彼氏と見に行かない方がいいということを。あなたの彼氏がよっぽどリベラルかのんき者でない限りは。彼氏の横で自分の行き方来し方そのバランスを見直してしまって、つながれている手を必要以上に強く握り返して怪しまれる羽目になるから。

FOUNTAIN(短編小説)

 長い舞台が決まると、私の生活は俄然規則正しくなる。朝は必ず7時に目が覚めるようになる。だけど今朝はなにか様子が違っている。いつもどおりに布団を足元に折り返して、床にゆっくりと足をつける。このごろ急に寒くなってきている。床はつるつるととても冷たくて、たぶん今日が今年一番に冷え込む日だろうと冷静さを取り戻すために私は思う。見慣れない部屋。ぺたぺたと窓に近づいて外を見ると、そこには中庭があって、真ん中に大きな泉があった。白い大理石でできた女性が大きなカメを掲げていて、そこから水がこんこんと湧き出ている。窓に息を吐きかけると表面が白く染まる。二分後に毛布をずるずると引きずりながら彼が起きてくる。どんな顔をしていいかわからなかったので、私はとても曖昧な笑みを浮かべた。彼はとても冬が似合う。私の隣に立って、さみいー、とつぶやく。

 「ねえ」

 「ん?」彼は長い前髪のあいだからちらりと私の顔を見た。

 「ここどこ」

 「ここって?」

 「ここだよ、この場所。昨日のこと、全然覚えてないの」

 「全然?」

 「うん」

 「まったく?」

 「申し訳ないけど」

 もともと色の白い彼の顔は寒いせいかますます白く、ほとんど紙のようだった。でも、目のふちだけがうすく赤くなっていて、私はなんだかそれがとても好ましく思えた。ここは夢の中だよ、と彼はさらりと言った。さっき、さみいーと言ったのと同じような調子で。

 「夢の中?」

 「うん、そう」

 「誰の?」

 「僕らの」

 「夢…ということは覚めることもできるの?」

 「そうしたいのなら」

 彼はそう言って、窓に手をゆっくりと押し当てて、鼻を近づけた。

 「これは、泉?」

 「うん、そうだよ」

 「どうしてここにあるの」

 「この泉が枯れるまで、僕らはここにいることが出来る」

 悪くない、と私は思った。

 私の顔はかなり整っている。だから人から誘われて女優の仕事をしている。役を演じることは好きだ。だけど私の本当の夢はバレリーナになることだった。2年前講師だったバレエダンサーとの不倫がばれ、私は追放された。狭い世界なのだ。結局のところ。

 今隣にいる、ガラスに息を吹きかけて絵を描いて遊んでいる男だって、本当は親友が五年間片思いしている人だ。もう一度私は彼の顔を見る。彼もこちらを見る。ウェーブがかかった長い黒髪。太い眉に奥深い目。薄くて赤い唇。その唇がゆっくりと動いて私の名前を形づくる。その時私は家族より友情より、過去より未来より今、目の前に現れたこの人を選ぼうと決心した。この大きな泉が枯れて無くなるまでずっと、彼と一緒にいてみようと思った。何がそう決心させたのかは、私にはわからない。

冬がはじまるよ(エッセイ⑦)

 「冬がはじまるよほらまた僕のそばですごく嬉しそうにビールを飲む横顔がいいね」という歌を私は寒くなってくると必ず、居酒屋で家で、相手に横顔を見せつつビールを飲みながら自分で歌う。毎年のことで周りの人たちはいいかげん嫌になってきていると思うけど、冬になるとどうしてもこの歌が頭によぎって止まらない。 

 そんなことを思いながら見上げた窓の外の空は朝からずっとグレーで、今にも雪が降り出しそうだ。見るからに寒そうで、私は思わずにんまりする。出かけなくてもいい冬の日は、外が寒そうであればあるほどうれしい。見ても見なくても変わらないようなテレビ番組の笑い声をBGMにして、暖房でこれでもかとあたためた部屋の中で、こたつに入ってパワーブックを立ち上げ、私はひとりでこの文章をパタパタと打っている。携帯の充電も満ち、かえるの形の加湿器からはしゅんしゅんと音を立てて水蒸気が上がる。暑くなってきた足先だけをこたつの外に出すと冷たくて気持ちいい。

 妹が初めて雪を見たときもたしか朝からこんな天気だった。ふたりで昼寝をしていて、私が先に目を覚まして窓に近づいて外を見ると、真っ白いしっかりした大きな雪の粒が次々に空から落ちてきていた。少し遅れて起きだした妹はそれを見た瞬間、驚いて目をみはった。それが私にとっての彼女との最初の記憶だ。至近距離で見た彼女のその目の色と白く染まっていくたくさんの屋根の景色。 

 そもそも私はこういう寒い雪の日に生まれ、そして雪にまつわる名前をつけられた。自分が雪と一緒にこの世界に降りてきたという事実とその証の名前は、自分に自信を失って悩む夜に何度も私を救った。だから、私にとって冬はなんとなく落ち着く季節だ。朝が絶望的に起きられいというだけで。

 突然携帯が鳴り、彼からのメッセージが届く。これから帰るという文字とピースの絵文字。私は文句を言いながらいそいそこたつから抜け出して、ガスをつけてお風呂を沸かす準備をする。駅から十五分。彼が家に入ってくるまでに雪は降り始めるだろうか。ビールを両手に抱えて冬の匂いをまとって体を冷やして帰ってくる彼を待つこの時間が、すっかり冬の楽しみになっている自分に気がつく。もしもいつか私がいなくなったあと、彼が冬になったら思い出してくれればいいなと思う。あの歌と、私と、私のこの幸せな気持ちについて。

その微笑みはまるで(宝塚宙組『異人たちのルネサンス』感想)

 真風涼帆の歌声を聴くと涙が出そうになる。

 自分の思いをあまり言葉に出さずに、いつも素敵な微笑みを浮かべていて、そうやってそこにいることがみんなにとって当たり前のような、物静かなトップスター。

 彼女は今までも、これからもどんな思いを自分ひとりの中に抱えているのだろう。そんな風に感じてしまうのは、彼女の役作りのためなのだろうか。彼女が演じる男性はいつも、あらゆる感情を、人目にさらすのにちょうどいい程度に抑制している人物のように思う。まるで空調の設定を変えるように、時と場合に応じて、感情を微妙に調整し続けているようなひと。歌声にもそれは現れていて、彼女はなにかを押し殺すように、奥歯で息を噛みしめるようにして発声する。視線は伏し目がち、私たちを安心させるように小さくうなずいてみせながら。その様子は、切ない。切なくて、私は彼女の歌で泣くのかもしれない。

 『異人たちのルネサンス』の舞台パンフレットの見開きには、レオナルドとしての彼女の写真が載っている。ベッドに横たわって、なにかを考えている様子が上から撮られている。それはどことなく、だけどどうしてだかとても親密な雰囲気の写真だ。左手には鉛筆、茶色く光っている短い巻き髪と炎のような野草のような模様が刺繍された洋服の首元は少し乱れていて、視線は画面の右上の方をさまよっている。そう、視線。あと1秒長く見つめていたら、こちらを見てくれそうなのに、今この瞬間には絶対にこちらを向かない瞳。あと数ミリ動かしてくれれば触れられそうなのに、決して動くことはない手。それは写真だからではない。彼女の男役はいつだって、あと少し、もうちょっとだけと思わせるもどかしい手の届かなさ、曖昧さで私たちを焦らす。

 

 劇中でレオナルドが歌う「その羽根広げれば自由に空を飛べるのに」という歌詞は真風自身に向けられているように思う。自由に空を飛べる力があるのにあえて陸に留まっているような少し哀しそうな彼女の微笑みは、見る人の心を打つ。まるでモナリザの微笑みのように。