ヘイセイラヴァーズ

本、舞台、映画、歌、短編小説、エッセイ、アイドル、宝塚歌劇、など、、、☺

チョップスティックの夢(短編小説)

 国道をひたすら北に車を走らせて、真夜中過ぎに道路沿いのレストランに入った。なんでもないチェーンのファミレス。オレンジ色の電球の上のほこり、原色の文字が光る看板、少し油っぽいソファ。店員はメガネをかけたバイトの若い男の子ひとり。私たちは壁に面した一番はじの席に向かい合って座って、メニューを読む。料理を選ぶのに、いつも通り彼は私より数分長く時間がかかる。

 注文と引き換えに運ばれてきた箸をつまみあげて、彼は言う。

「箸って英語でなんて言うか知ってる?」

チュッパチャプス?」

 彼は笑う。

「そんなわけないでしょ、惜しいけど」

 私は少し考えて思いつく。

「チュッパスティックだ」

チュッパチャプスに引っ張られすぎ」

 彼は笑う。私が大好きな顔で。

 チョップスティック、彼はそうつぶやきながら、セットのサラダを食べている。

 私が「二種盛りステーキ定食」、彼が「アメリカンハンバーグ定食」を食べ終わって食後のコーヒーを飲みながら、この店にあるアイスクリームの10種類の味の中でお互いが何を選ぶかを当てるゲームをしていると、私たちのほかに1組だけいたお客さんが、席から立ち上がった。ちょうど店の対角線上のテーブルに座っていた美人の姉と美形の弟。だけどきょうだいにしては彼らは物静かで、そしてとても幸せそうに見える。

 彼らが帰ってしまうと、店の中は本当に私たちだけになってしまった。バイトの男の子の姿も見えない。窓の外にももちろん人は通らない。なんだか本当に終わりみたいだね、と私が言うと、本当に終わるんだよ、と彼が答える。

「俺たちもそろそろ行こうか」

 彼は立ち上がってコートを着込み始める。私が気に入って、10年着ればもとをとれるんだから、と説得して無理やり買わせた彼の紺のダッフルコート。

  あと少しで終わるなんて信じられない。だけど本当に終わる。海沿いの道を走っている途中だといいなと私は思う。あのボロい青の車と、そして私たちふたり、朝日が昇る瞬間に、きっと。

モテるということ(エッセイ⑥)

 恋愛ルールブックを侮るなかれ。

 『上級小悪魔になる方法』という本を読んだおかげで、私の大学生活はまずまずモテたと思う。例えばイケメンの先輩と古着屋さんデートをした。男友達に夜道で突然手をつながれたり、「幸せにするよ」という世にもキザなセリフでコクられたりもした。あるいはこれらは、モテたというより、その年齢特有の悪い病気が蔓延していただけにすぎないかもしれないけれど。

 このルールブックに書いてあるモテるためのテクニックの一つに、とにかくまず「相手の話を熱心に聞く」というものがあって、これは簡単なようでいて危険なほどに効果的だ。本を読んだ直後に鍛え上げたこのテクニックによって、私は上記のモテの思い出をこしらえ、今でもその気になれば大抵の男の子を落とせる気がしている(オオキクデスギタソレハウソ)。そしてこのテクニックはのちに、こっそり尊敬している男性が飲み会で言い放った「今の世の中は誰も幸せじゃないから、人の話を聞く人が不足している」という言葉に裏付けられることになる。

 ところが、である。そのときに一番好きだった男の子は決して私に振り向いてくれることはなかった。この本に書いてあるテクニックを、私は彼にはどうしても、何一つ使用することは出来なかったのだ。照れるし沈黙は怖いし自信はないし、ドキドキしすぎてあることないこと自分からしゃべりまくってしまう。彼はいつだってそれを笑って聞いてくれて、だけど、彼自身が一体何を考えているのかは、一度も私に話してくれたことはなかった。

 人はさびしい生き物だ、と人々は言う。たしかにそうだ、と私は思う。飲みすぎて気持ち悪くて死にそうになっている夜中や、隣で死んだように眠っている誰かの顔を眺めている朝方に、私はそれを感じる。自分はたったひとりで生きていて、だけど誰かとつながっていたいと思う。アムロちゃんの歌に「踊る私を誰か、優しくずっと見ていて」という歌詞があるけれどまさにそれで、自分が一生懸命この世で踊っているさまを誰かに見ていてほしいと思ってしまう。その結果が、恋愛であり、インスタであり、そして私の場合は文章を書くことでもある。

 この本のあとがきで作者はこう書いている。

「ときには、失敗することや苦い経験があったって、別にいいじゃない?」

 そう、別にいい。なぜならモテた思い出はもちろん、モテようとあがいたこと、そして結局モテなかったことも含めてそのすべてが、今では自分の欠かせない一部になっていると、私は感じているから。それは私が、誰かとつながろうとした確かな証なのだ。

 

※『上級小悪魔になる方法』 蝶々

私もいつか彼を求める(宝塚『エリザベート』感想)

 私は『エリザベート』のいったい何にこんなに惹かれているのだろう。

 黄泉の帝王トートへの憧れ?爛熟したハプスブルク家の悲しい滅亡?民衆たちの圧倒的な怒りのエネルギー?そのどれもであり、また、そのどれでもない。

 きっとそれは、出てくる人々全員に、それぞれの強さがあり、そして弱さがあるところだ。フランツは優しいがマザコンエリザベートは気高いが自分勝手、革命軍は理想に燃えているが作戦を練っている時の表情はまるっきり悪人、民衆はひとりひとり愛を抱えていて、それでいてたしかに愚かだ。

 そして完全な存在であるはずのトートでさえも、エリザベートを愛したことで弱さを抱えてしまう。

 

あなたは恐れてる。彼女に愛を拒絶されるのを!ーーーちがう!!

 

 エリザベートになんど愛を拒絶されようが自分の思いを伝え続けたフランツの方が、外堀を埋めていったトートよりも男っぷりが上であると私は感じる。『エリザベート』という物語はトートが「人間落ち」していく話であるともいえる。

 人間の不完全さとそれゆえの底知れなさ。『エリザベート』が描くその部分が、私がこの物語に強く惹きつけられ、同時に恐ろしく感じる理由であるのかもしれない。

 

踊るアホーに見るアホー(エッセイ⑤)

 8月の青森に、ねぶた祭りを見にいった。

 真夏のはずなのにすでにうっすら寒かったのは、雨のせいだったのだろうか。肝心のねぶたは濡れないように透明な袋で覆われていて、そのせいで中の光は少しだけやわらいでいる。雨の水滴のせいで、取り囲む跳人(ハネト)たちは皆キラキラ光って見える。女の子たちは朱色のたすきと膝下丈の浴衣を身につけていて(朱色と長め丈が今年の衣装の流行だそう)、濃い赤の残像が目の奥に残る。流行なんて気にせずに人より広く胸元を開けた集団の白い肌が眩しい。慣れた手つきで太鼓をたたいている好青年は、道端の観客に愛想を振りまきすぎて、今夜帰宅後きっと、可愛い彼女にしかられるだろう。普段はセンコーに楯突いているはずの男の子たちは派手に飾り付けた花傘をかぶって、争うように、誰にも負けないように、天に向かってハネている。

 渋ハロ(渋谷ハロウィン)の映像をテレビのニュースで見た時、私は夏に見たそのねぶた祭りの光景を思い出していた。東京にはああいう街をあげた祭りがない。踊れるようなディスコもクラブもない、日常と離れてオシャレしていく場所もないどころか普段の居場所すらない。東京の若者はそりゃ力を持て余すはずだ。渋ハロがあんなに過熱するのはそのせいだ。

 人々が濃い化粧をして普通ではない衣装を着て渋谷に集う様子はお祭りのようであり、一向一揆のようであり、革命前夜のようであり、デモのようでもある。なにに対しての?それはまだわからなくても、若者の力がひとつの街を、大人たちを動かしていることを心強く感じても良いはずだ。

 DJポリス以外の警察にお世話になるのはもちろん御免だけど、この若者だけのお祭りは、完全に統率される前のここ何年間かがいちばんおもしろいのだと思う。混乱を極めた戦国時代に多くの伝説が生まれたように。混沌と制圧の歴史は繰り返される。

 かくいう私は、いつも安全な道端やテレビの前にいて、それでもやっぱり少しだけ身体が疼く。参加しようかやめておこうか。その狭間をまだ揺れ動いている。

 あとは、若い者だけで。

 そう快く言えるようになるまでに、私も街もあと数年はかかるだろう。

あの場所で(短編小説feat.映画『ハナレイ・ベイ』)

 彼がハワイのハナレイ・ベイで鮫に喰われたという情報を私は先生から聞いた。外は雨が降っていた。

「いつですか」

 私は先生にそう尋ねた。先生はその事故があったのがいつだったか、という質問だと勘違いして、その時の様子を詳しく話し始めた。私が聞いたのは、彼がハナレイ・ベイに旅立ったのはいつだったか、ということだったのだけど。

 私は彼のことが嫌いだった。貸した雑誌に強く折り目をつけるところ、金遣いが荒いところ、すべての女の子が自分のことを好きだと思っているところ。ワガママで傲慢で数え上げたらきりがないくらいに。だけどあの、遠くの方にある何かとても大切なものを眺めているような、夢を見ているような目をそのままこちらに向けられたら、私はいつだって何も言えなくなってしまう。そういう私自身のことを私はいちばん嫌いだったのかもしれない。

 一度彼の家の玄関で靴を履いている時に、彼のお母さんがちょうど帰ってきたことがある。私は彼女の黒目がちな目を見た瞬間に「あ、同じだ」と思った。たぶんこの人も彼のことと、彼に振り回される自分のことがどうにもならないくらい嫌いだろう、と思った。

 そう思ったら、その狭い玄関に立っている彼女に何か言わなければと感じたのだけど、彼が何も言わずに先に出て行ってしまったので慌てて後を追いかけた。あいさつすらできなかったことをそのあとしばらく後悔し続けた。

 それから五年後、私はある街角で彼女に会った。信号待ちをしている時に不意に声をかけられたのだ。私はアッと声が出そうになってしまった。突然で驚いたからではなく、彼女の姿があの日と何一つとして変わっていなかったから。

 彼女はあの日と何も変わらない目で真っ直ぐに私を見て、「これをあなたに返そうと思って」と鞄から小さな紙袋を取り出した。どこかでお茶でも、と言ってしまってから、彼女と話す話題など何一つないことに思い当たった。彼女は小さく首を振って微笑みらしいものを顔に浮かべて、来た道を戻って行った。紙袋の中身を取り出して見てみると、それはたしかに私があの日彼の部屋に置いて行った赤いレースの小さなパンツだった。太陽の光に透けて、それはとても綺麗な模様の影を地面に落としていた。

 私が今、ただひとつ望むことは、身も世もなく眠ること、そしてそのあとで彼のことを際限なく思い出し続けること。だけど世の中はなかなかそうはさせてくれない。今だって、まだカップに半分以上残っているコーヒーを諦めて、私はもう行かなくてはならない。彼がいる場所から、ますます遠く離れて。

 

 さよなら、ハナレイ・ベイ、さよなら。

この場所で(短編小説feat.映画『ハナレイ・ベイ』)

 ハナレイ・ベイに来て七日目。正直言って、最高だ。二日酔いだろうがなんだろうが、ワクワクしながら目が覚める。友だちも出来たし、英語も少し話せるようになった。こっちで出来た友だちとの写真と、英会話のスキルは日本に帰ってから(モテるために)最大限活用しようと思っている。

 だけどそんなことはどうでもいいくらい、一番最高なのはやっぱりサーフィンだ。日本の海でやるのと何が違うってわけじゃない。特に波を追いかけている時はなにも違いを感じたりしなくて今自分がどこにいるのかも一瞬わからなくなるくらいだ。だけど太陽が上がり始めた朝方の時間に、ボードにつかまって海をたゆたっていてふと顔を上げた時、遠い山の濃い緑とか海の表面の光り方とか、そんなのがやっぱりどうしても違っていて、そういうものの中に一人でいると、自分がその自然の一部であるっていうこと、自然も自分の一部だっていうことがとても誇らしくなる。やっぱりうまくは言えないけど、まあ簡単に言えば今ここで死んだら最高に気持ちいいだろうなって感じるってこと。つまりその感覚がfeel so good ってやつなんだろう。

 あとお気に入りなのは、海までつながっている長い長い上り坂。自転車に乗って、オヤジの遺品のダンボールから勝手に持ってきたカセット音楽プレーヤーを耳にはめて、覚えたメロディーを口ずさみながらその坂を上って、大好きな海が見えてくる瞬間がたまんない。母親はオヤジのことをほとんどなにも話さなくて、とんでもないクソヤロウだったってことだけしか俺は知らない。写真もない。ひどい話だ。だけどオヤジとは少なくとも音楽の趣味は合うんだろうなと、一緒に収まっていたカセットテープのコレクションのタイトルを見たときに思った。母親のピアノが録音されているテープが一本混ざっていたところは、いただけないけど。

 俺にサーフィンを教えてくれた女の子のことをこっちに来てからたまに思い出す。パサパサの髪を伸ばして、冬でも日焼けしていて、だけど丸顔でそばかすだらけでなんだか海に似合わないようなにこにこした子。

 彼女に初めて借りたサーフィンの雑誌を返した時、ハナレイ・ベイのページに強く折り目を付け過ぎだと怒られた。私もお気に入りなんだから、と怒っている彼女の顔を見ながら一瞬、俺は初めて将来ってもんについて考えていた。大した仕事にはつけないかもしれないけれど、ちゃんと働いて、それから毎年このハナレイ・ベイに彼女と、子どもたちとサーフィンをしに来るのだ。だから今も、彼女がここにいればいいのにな、と思っている。この瞬間が、その未来の一部だったらいいのにと思う。でもその気持ちさえもこの場所ではあっという間に遠くに行ってしまって、つかむことは出来ない。

 波が来る。十九歳。子どもでいてもいい最後の年。彼女からも母親からも頭がカラッポだと同じセリフを投げつけられたって、俺は俺だけの場所を見つける。もうすぐ、見つける。来る、波が。

 そいじゃ、さいなら。

続・火星の井戸(短編小説feat.『風の歌を聴け』)

 兄貴のウォルドには確かに考えすぎの傾向があった。宇宙の広大さに倦んで勝手にひとりで旅に出て音信不通になるくらいには。それに比べて俺は楽観的だと昔から言われている。世の中には結構おもしろいこともおもしろい奴も多いと思うし、第一、宇宙の広さを倦むなんて俺の仕事じゃない。器でもない。だけど俺は兄貴が消えた星をどうしても見てみたかった。だからここにやってきた。

 そこは美しい星だった。赤茶色の土地の表面には細かい砂埃が舞っていて、それが見渡す限り延々と続いている。それ以外にはなにもなし。ただ、数えきれないほどの穴がその表面に真っ暗な口を開けている。

 

穴 ● ● ●

 

 その穴のひとつの縁に腰掛けて、奥深くまで中を覗き込む。その中にもなにもなし。兄貴はここに入ったまま、出られなくなってしまったのだろうか。それはありえる。あいつはデカイ口を叩く割には方向音痴で、迷子になって泣きながら親に抱き抱えられて家に戻ってきた姿を何度も見たことがある。

 

「お前の兄貴とも話をしたよ。」

 風が俺の頬を撫でる。

「確かにお前の兄貴はここに入っていった。だけど迷わずに出てきた。」

 風はますますはっきりと吹き始める。

「そうして出てきて、拳銃の引き金を引いた。」

 拳銃?兄貴はそんな物質的なやり方は選ばないはずだ。それは本当に兄貴なのか?

 

 俺はまた穴の中を覗き込む。風が少しでも俺の背中を押したら、転がり落ちてしまいそうなほど深く、深く、頭を突っ込む。だけど兄貴の気持ちなんて、本当にひとかけらもわからない。

 

「歌ってくれよ」

 

 俺が頼むと、大気が微かに揺れ、風が笑った。そして再び永遠の静寂がやってきた後で、その歌は聴こえ始めた。兄貴には聴こえなかったこの風の歌。俺は終わりが来るまで自分で終わらせたりなんかしないだろう。なにの終わりまでか?それを考えるのは俺の仕事じゃないし器でもない。そんなことは、兄貴に任せておけばいいのだ。