ヘイセイラヴァーズ

本、舞台、映画、歌、短編小説、エッセイ、アイドル、宝塚歌劇、など、、、☺

片思いの夢(TWICE/歌詞の分析)

◎あるいは9人組アイドルに弱いだけかもしれないけれど

 

sign感じて!signal見て!でも全然通じない!

目を合わせ そぶり見せても 全然反応ない!」

 

 TWICEの「signal」を聴くと毎回泣きそうになるのはなぜだろう。それはきっと今までしてきた自分の片思いの記憶が一挙に押し寄せるから。今世界で一番可愛い女の子たちの、遠くの方から聞こえてくるように切ない歌声とキュートな仕草。そしてそれらと裏腹の、曲の底で鈍く響いている彼女たちの鼓動のような小さい重低音。

 

「どうにもこうにもお手上げよ 恋のアピール気づいてないね?

空気も表情も読めないの?何をしても上の空ね」

 

 それにしてもこの曲のこの女の子の片思いには脈がないなーとしみじみ思う。女の子の一生懸命のアピールを、相手が気がついていないわけがないのだ。気がつかないふりをしているに決まっているのだ。これはもう、片思いがかなった試しがない私には幾度となく覚えのある感触だ。本当はもう諦めた方がいいけれど、名前を呼ばれたり目があったりするとつい可能性があるのではないかとやけにポジティブになってしまう気持ちが痛いほどわかる。そしてだからこそ肩を揺さぶりたくなる。ここからの逆転はありえない、目を覚ませ、と思う。

 

「いつでも君のことを考えて悩んで 胸は苦しくなるのに

いつまで待てばいいの?はち切れそうな思い 今すぐ気づいて受け止めて」

 

 飲み会で向かいの席に座っていた男性が「片思いにしか夢はない」と言っていた。私は両思いだって、相手の本当の気持ちはわからないので同じように夢があるとは思うけれど、それでも、相手のことをよく知らなくて、自分の都合のいいように想像している”叶わない”片思いには夢がある。だけどそれは悲しい夢だ。永遠に終わることのない、悲しい夢。まるでトラウマに近い。

 

「signal OK signal OK チリ チリ チリ チリ

大好きよ 大好きよ なんで届かない?」

 

 なんで届かないと言われても、相手に受け取る気がないからだとしかいいようがない。どんなに可愛くてもどんなに相手への思いが強くても、それはどの女の子にも理不尽に起こりうる。そしてその理不尽さは私たちの心にふとした時に蘇る。雨の日になると痛む古傷のように、食い込むような痛みと甘み。それは例えばこの曲を聞いた時にも。


RADIO LIVE | TWICE - SIGNAL, 트와이스 - 시그널 20170530 [Tei's Dreaming Radio]

愛を知れば(ヘイセイジャンプ/考察)

 私たちはいつでも、危険にさらされて生きている。一晩で人生は変わる。例えばそれは、推しのゴシップ。

 推しを持つ者は幸せだ。見るだけで、考えるだけで幸せになれることがあるなんて絶対に生きやすい。だけどその生きやすさの代償に私たちはより多くのものを差し出さねばならない。崖っぷちに立たなければならない。愛を知ると人は弱くなる。

 先日推しのゴシップにガツンと遭遇した私は(率直に言って山田涼介の熱愛ですね!)、自分でも驚くほどの不調をかました。まずそのネットニュースを見た瞬間にお仕事の電話口で黙り込む、普段なら絶対間違えない電話番号を先方に間違って伝える、コピーを5部とるところを55部とる。目の下にクマ、手の震え、食欲だけは衰えない。朝起きてなんだか心が晴れないと思うとそのことが原因。こんなにオーエルの力を落としてしまっては、リアルに国力に響くと思った。

 こういう熱愛ゴシップに関しては、「彼女という存在よ、どうかデマであれ」とか「私が好きなあの手であの子を、、、アアッ」という類のやり場のない傷つき方ももちろんするけれど、それよりもむしろ、今まで自分にとってなによりも一番の味方でヒーローで、心のよりどころで、そして相手も同じように思ってくれているはずだった人が、本当はその恋愛世界において自分のことを「敵」とみなしていたのかもしれないという「側」の認識のギャップからくる圧倒的な悲しみの方を強く感じるとわかった。だからこそ次に怒りがくる。秘密とか反対とか障害物が多い恋ほど燃えるだろうから、自分がよりによって彼らの夜を盛り上げる薪的存在だったと感じれば、そりゃ誰でも怒る。だけどもちろん誰も悪くない。

 そんな時私たちはどうしたらいいのだろうか。私はヲタクとして尊敬している歌広場淳様の言葉を思い出す。

「すべてのヲタクよ、すべての推しを持つ者よ、手を取り合おう。僕たちは一人じゃない。」

 そうなのだ、私たちは一人ではない。今までずっと思いを分かち合ってきた仲間がいるはずなのだ。そしてすべての推しを持つ者たちが、自分の思いをわかってくれているはずなのだ。同担だろうが他担だろうが拒否などしている場合ではない。

 ヲタクはもはやその対象を離れ、その活動によってもたらされた何かの方が強い意味を持つようになる時がある。愛を知ると人は弱くなる。だが、それを通して得た何かは私たちを強くするのだ。そのことを知った時、私たちは本当に誰かを「推す」ことができるのかもしれない。

青い部屋(短編小説)

マチュピチュの遺跡からバスで降りる時に、見送りの少年が雄叫びした声が動物みたいで、あんなものすごい声を、初めて聞いた。」

 高山なおみ『諸国空想料理店』 

 

「ねえ、夜の動物園ってどんなだか知ってる?」

 冷たい海の底みたいなブルーの空気の明け方、白いシーツの間で、彼女はそんな話を始める。甘くて遠くから聞こえてくるような不思議な彼女の声は、他愛ない話にも特別な響きがこもる。

「小さいころに私何度か忍び込んだことがあるんだよ。家の近くに動物園があったからね。」

 彼女は話を続けるから相づちを打ちながら近くにあったコーヒーカップに口を付ける。寒いから袖を伸ばす。

「あのね、夜の動物園ではね、基本的には動物たちはみんな眠っちゃっててね、自分の心臓の音だけが聞こえてるの。だけど時々、暗い方から声がするんだ。雄叫びみたいな何かの動物の声。」

 ねえ、私にも、と彼女がコーヒーカップに手を伸ばしてくる。シーツを足に巻きつかせて、目をつぶったまま。まっ白い石みたいにすべすべした顔。苦いの飲めないでしょ、やめときなさい。私がそう言いながらコーヒーカップを遠ざけると、彼女はそのままの体勢で、口の端をが少しだけ吊りあげて静かに笑う。

「その、やめときなさいっていうの、好き。なんか子ども扱いされていて、思いっきり甘やかされてる感じがして。」

 それでね、その何の動物だかわからない声がすっごく怖いんだよ。何事もなかったかのように続きを始める彼女の動物園の話を私はもう聞かずに、これまでいろいろな場所で聞いた、彼女の声を思い出している。この部屋の中で、車に乗ったままの駐車場で、誰もいない図書館で、真っ暗いレンガの道で。彼女の声は、どこででも普通でない響き方をして、私の耳に入り込む。昔彼女が、夜の動物園で聞いたどの鳴き声よりもきっと強烈に、ずっと深いところまで。

   私が話を聞いていないことに気がついた彼女は眉間にしわを寄せて、悲しそうな顔をする。腿に置かれた小さな手が、ものすごく熱い。やがて彼女はベットからするりと降りて、そのままよろよろと進む。椅子にぶつかってその上にあった灰皿が床に落ち、ぱりん、と音をたててあっさりと壊れた。

 きらきら舞っているガラスの破片を眺めたまま、頼りなげに突っ立っている彼女を抱きよせる。彼女の指が私の髪の間をくぐっている間中、いつかどこかで見た映画のワンシーンが頭の中で再生されている。真夜中の海に投げ出されて、木の板に必死ですがりついて溺れないようにしているたくさんの人間たちの姿。私たちはそれと同じように、この世界でお互いの細い身体にしがみつくようにして呼吸している。広い陸上から、暗い海の底から、私たちを狙って鳴いている動物たちの鳴き声を忘れるために、彼女の耳をこっそりと塞ぎ続けている。

お金と幸せについて(エッセイ④)

 東京でOLをしていると、とにかくお金が必要だ。渋谷や新宿や、そのほかのどんな街にも、キラキラしたものがたくさんあって、それらはすべて幸せそのもののような形をしている。しかもそれらはお金と引き換えに自分にも手に入れることができる。

 例えば秋になればほしいもの。

 きれいなレースの下着だとか(夏の汗を吸った下着と総取りかえしたい)。新しい鼈甲メガネだとか(涼しくなると顔に汗をかかなくなって眼鏡がずり落ちないのでステキな眼鏡女子になりたい)。クリスチャン・ディオールのオーデコロンだとか(村上春樹の小説に出てくる白い花の香り)。尽きない、だけどお金で買うことのできる幸せ。

 岡崎京子の漫画『pink』の主人公ユミちゃんは、昼間はOL、夜は身体を売って、お金を得ている。そのお金で彼女は、洋服を買い、化粧品を買い、お花を植物を美味しいご飯を手に入れて、ペットのワニを養っている。これは私のOL人生のバイブルだ。

 なぜなら、誰よりお金をほしがっているユミちゃんはそれでも誰より自由に見えるから。お金を得て好きなものを手に入れても、部屋中水浸しにしてそれらをぜーんぶを失ってもどっちにしたって幸せなんてあるわけないじゃーん。そんな顔をユミちゃんはずっとしていて、その顔に私は憧れているのだ。お金が欲しいから、その分きちんと働いて、だけどだからって私が幸せとは限らないと言いたげなその誇り高い様子。

 ユミちゃんは言う。会社の帰り道に買って来て部屋に飾ったピンク色の花を見て。

 「お金でこんなきれいなものが買えるんなら、私はいくらでも働くんだ。」

 その言葉が私を四年間会社へと向かわせた。お金で得られる幸せを買うための真っ当な労働。

 お金があるから幸せとも思わないし、お金がなくても幸せになれると思うことも私にはまだできない。だけどお金があってもなくてもあごをツンとあげている美人なユミちゃんの顔を、私は忘れることができない。それはやっぱり、一番ほしくて大切なものはお金では買うことができないということをどこかで私も知っているからなのだろうか。

Garaxy Express in Tokyo(短編小説)

 真夜中の最終電車は空いていて、まるで自分の部屋が移動しているみたいだ。

 そういうと彼女は、じゃあ何してもいいよねと言って素早く煙草に火をつけた。白い煙が細く上がってあっという間に天井を這っていく。私は天井の端に小さな煙探知機を見つけて彼女の指に挟まっている煙草をあわてて奪い取り、古くてくたびれた緑色のシートにその小さな炎を押し付けて消した。だって気持ち悪くて煙草吸ってないと吐きそう、と恨みがましい口調で言いながら彼女は私の右肩に小さな頭を乗せてくる。

 「今頃イケメンにお持ち帰りされてる予定だったのに、何であんたと電車に乗ってるんだろ。」

 彼女はそんな蓮っ葉な口をきくけど口で言うほどちゃらちゃらした女じゃないと私は知っている。かといって恰好つけて不良を装っているわけでもない。結局私たちは本物の王子様を待っているのだ。さっきのおしゃれ居酒屋の合コンでも、例えばこの狭い電車の中でも。

 彼女の顔が向かいの窓に映っている。昔から丸いおでこが出っ張っていて、それが彼女のチャームポイントだった。切ったばかりの短い前髪が乱れても、気にせず文句を言いつづける彼女は、それでもとてもきれいだ。

 

 ちょうど一週間前に、居心地悪そうに居酒屋の明かりの下に座っていた彼の姿を思い出す。たぶん私の気持ちに気づいていた彼は、三年前からいるという恋人の話を友人に持ち出されている間中、決して私の方を見ようとしなかった。だけど私を傷つけたのは目の前にあるその事実ではなくて、自分の頭の中に浮かんでいた想像上の彼の姿だった。多分毎晩私が、飲み会やら、眠る準備やら、テレビを見るやら、本を読むやら、彼の事を考えるやらしている、同じ、その時間に、見た事のない顔で、特別でもなんでもない、普通の楽しい時間を過ごしていた彼。その時も光っていただろう目の前にある濡れている金色の指輪。

 

 窓の外で真っ暗闇がヒュンヒュン飛んで行く。ずいぶん長い間駅に止まっていない気がする。誰もいない車両は、がらんとして広い。朝の満員電車が悪い夢のよう。彼女は私の顔を覗き込んでくる。真っ白い蛍光灯の下で入念にファンデーションで埋めてある彼女の毛穴がうっすらと見える。

 「ねえ、この電車もう、降りちゃおうよ。」

 彼女は肩をすくめてにやりと笑う。私はもちろん彼女にその小さな失恋の話はしていない。したら最後、小学生かよと言って一生笑われることが目に見えているから。

 彼女は立ち上がって荷物をまとめはじめる。私は本気にしない。この電車は最終だし今日はまだ火曜日だから、さすがの彼女でもそんな無茶するはずない。

 だけどちょうどよく到着した駅のホームに彼女はあっさり降り立ってこちらをくるりと振り返る。私に向かって手を振って茶色い髪がなびいている。透明なグロスが少しはみでたくちびる。誰もいないホームで発車のチャイムが律儀に鳴る。夜中のホームのピンスポットを浴びた彼女があまりにも軽やかで、私は励まされる。励まされてしまう。一緒に泣いてくれるより、話を聞いてくれるより、ずっと深いところで。その自由さが、私を想像のふちからいつでも救いあげてくれる。

絵の効能(村上春樹『騎士団長殺し』感想)

 目に見えるものをコピーするなら、写真を撮るのがいちばんだと思っていた。目に見えないものをコピーするなら、言葉で表すのがいちばんだと思っていた。だから私は中学校も高校も美術の授業を真面目に受けず、隣の席の友だちとの無駄話の内容ばかりをはっきりと覚えている。無駄話をするのに、ちょうどいい教室のざわめきを。

 大人になってからも、美術に対するそういう気持ちはほとんど変わっていない。たまには知的なデートを、としゃれ込んだ美術館で一番心に残ったのは、同じくらい美術を解しない恋人の大あくびをかみ殺す奇妙な表情と早々に入った休憩室のケーキの薄い黄色のスポンジがそこに飾ってあるどんな絵の色よりきれいだったこと。

 『騎士団長殺し』の主人公は絵描きで、そして大事な登場人物のひとりは、絵の中から現れる。私が一番好きな村上春樹の短編小説『タクシーに乗った男』の成り行きと似ていて、だから私はこの小説がとても好きだ。このふたつの小説の中で「絵」は向こう側の物語とこちら側の現実をつなぐ、窓のような役割を果たす。つらいこと、つまんないこと、やってらんないこと、そんなくっだらねーことばっかりのこの世の中で、例えばずっとなんとなく魅かれていた絵の中の人物が外国で突然自分のタクシーに乗り込んでくるみたいな数秒間、そんな光っている数秒間だけが人生のすべてで、それ以外は全部グレーなのではないかと思う、それでいいのではないかと、私は思う。

デイ・ドリーム(短編小説)

 明け方のタクシーに乗るのが好きだ。

 だからなるべくぼんやりと窓の外の景色を眺めようと努力していたが、ダメだった。さっきまで目の前にいた彼女の姿が何度打ち消してもどうしても浮かんできてしまう。大学の同期で、三年ぶりに会った彼女は、薄いピンク色のセーターを着て、OLらしく爪もきれいに光っていた。髪を伸ばし、昔から決して美人ではないが変わらない笑顔と何を考えているかわからない一重のまぶた。ビールジョッキを持ち上げる腕に腱が浮かんでいたところと化粧が少し濃くなっているところがやっぱり少しおばさんになったと思った。

 最後に飲んだワインが今頃になって効いてきて、頭がぐわんぐわんする。家まではあと少し、携帯電話には何件もラインが届いている。最近俺の部屋に住みはじめた年下の女の子から。いつ帰ってくるのかということを繰り返し聞いている、女の子らしくてかわいい絵文字。俺はその子にこんな情けない姿を見られたくないと思う。

 お金を払って、タクシーを降りる。地面に足を着けた途端に足元がふらつくが、タクシーの運転手はそんなことを気にも留めずにさっさと走り出す。玄関を開け音をたてないようにリビングに入っていくとさっきまで俺に何件もラインを飛ばしていた携帯電話を握りしめたまま、テーブルに突っ伏してその子は眠っていた。

 細い肩ひもの白のキャミソール、もこもこした毛布にくるまって、白い足を投げ出して。いつも通り可愛いけれど、今ここでこんな風に眠っているのがこの子ではなくて彼女だったらどんなにいいだろうと俺は思う。きっともう少ししたらこの子は目を覚まして俺に気が付いて整った顔で笑いかけてくれる。そして俺にその細い身体をからみつかせてきて、お酒臭い、と顔をしかめてみせることも忘れないだろう。それでも。

  窓の外を見る。都会の空には星はほとんど見つけられない。彼女と初めてふたりで歩いたのも、こんな星空の下だった。そっとつないだ手を彼女はふりほどかなかった。こちらを見ないようにしている気配が伝わってきていて、俺もとてもじゃないけど彼女の方を見ることが出来なかった。こんな気持ちで思い出すことになるなんてその時は思いつきもしなかった。

 窓の外の景色に遠くまぎれていく。涼しい風が頬を撫でる。今頃彼女はどこにいるのだろう。一人で自分を抱きしめるような格好で眠っていてほしいような、きちんと誰かの腕の中で眠っていてほしいような、どちらとも願えない俺は、目の前にいる女の子の細い髪をそっとなでている。