ギロチンより愛を込めて(2/3宝塚雪組『ひかりふる路~革命家マクシミリアン・ロベスピエール~』感想)
舞台をつらぬく一筋の光線。
左下から右上へと、開演前から舞台を斬り裂く、ギロチンのまっすぐなヤイバ。
そう、この舞台は大きなギロチンに見守られた愛の物語である。
あるときは壁の模様に。
あるときはひなたとひかげを分けて。
あるときは服のもようになって。
いたるところで目にこびりつき付きまとうまっすぐなギロチンの影。
月が空にあって私たちを照らしているように。
ある種の神様が私たちを上から見渡しているように。
この舞台では大きなギロチンが彼らの愛をいつも見守っていた。
デカい図体にデカい声。限りなくチャラい自由な笑顔。まず私の目の裏に焼き付いて離れないのは、妻のガブリエル(朝月希和)を愛する、ダントン(彩風咲奈)の仁王立ち。豪快で、ケンカばかりだけどなんだかんだで仲良しで、周りの皆をはげます似たもの夫婦。だけど、このカップルによって証明されたのは、いい男の妻は早死にするということ。夫の男っぷりの肥やしになるために妻が早死にすることになるということ。
ロベスピエール(望海風斗)とダントンの二人っきりの晩さん会。このシーンがその証拠だ。妻をなくしたとともに永遠に失われてしまった”明るいダントン”を、自分の役割として必死に演じるその横顔。ただのお調子者だったはずのダントンの顔に時折暗い影が落ちるとき、わからんちんのロベスピエールとはくらべものにならないほどのセクシーさが彼にはにじんでいた。私は男の肥やしになんかなりたくない。だから私は良い男とだけは絶対に結婚しないと、彼の姿を見て心に決めた。だけどそれでも。
「ひとりにしないでくれ」と叫んだ彼を、「大胆にいけよ男なら」と自分に言い聞かせるように最後まで歌っていた彼を、救うことができるこの世でたったひとりの存在に、どうしようもなく憧れてもいる。
そして、マリーアンヌ(真彩希帆)の貴族時代の恋人のフランソワ(眞ノ宮るい)。彼は革命軍が自分たちを狩りに来た時、マリーに大きな頭巾をかぶせて逃がし、自分は捕まった。回想シーンで彼は、生き続けているマリーにこれ以上ないほどに満足げに微笑みかける。これは本物だと思った。彼はこの舞台の中で最も強い人だと思った。いうなればそれは”貴族らしくない”強さ。まるで”シトワイヤンのような”強さ。立場はどうあれ、最後はひとりひとりがどのような人間なのか、それにかかっていると彼の穏やかな笑顔が物語っていた。
ロベスピエールに恋をしているお手伝いの女の子の思いも一つの愛の形だ。コートを毎日彼に着せかけているだろう彼女は、革命によって得た”自由”を”待つ”ことに使うと決めた。前に出て行くことだけが自由の使い道ではない。自由をどのように使うかは本当に自由なのだと彼女は教えてくれる。そして大きな出来事の裏には必ずこんなふうに無数の小さな出来事や思いがあるということも。
最後にロベスピエールとマリーアンヌ。彼らの最後の別れのシーン。これは幸せすぎだ。突然何の前触れもなくギロチンに向かわせられた多くの人々を思うと、はっきり言って、どのツラさげて最後に自分だけいい思いをしてんだよ、と私は歯噛みしてしまう。自分だけずるい。
だけど、まるで外の世界に出て行くかのように胸を張ってギロチンに向かうロベスピエールと、ギロチンに向かうかのように重い足取りで釈放されたマリーアンヌの二人が舞台からいなくなったとき、私はほんの少しだけ二人を許せる気がした。あれほどまでにつきまとっていたギロチンの影がここでやっとなくなり、あらゆる方向から光がさしたように見えた。
愛のために、世界を変える。
この作品のサブタイトルだ。
愛のために?世界を変える?
本当にそうだろうか。
彼らが世界を変えようとしたのは本当に愛のため?
確かに愛のためでもあるだろう。愛する人と平和に苦しみなく暮らせるように。
だけど、愛はただそこにある。
愛と世界を変えることはまったく無関係だ。
そのことを彼らも、わかっていたはずなのに。