ヘイセイラヴァーズ

本、舞台、映画、歌、短編小説、エッセイ、アイドル、宝塚歌劇、など、、、☺

言葉と香りに守られて(村上春樹ブッククラブに参加せずに)

課題図書:『ねじまき鳥クロニクル

 

 渋谷ヒカリエクリスチャン・ディオールのお店でクミコの香水を嗅いだ。綺麗な売り子のお姉さんに優しく勧められたけれど、私にはまだとても似合わない、白い花の香り。

 動物、血、政治、水。あんなにもいろいろなにおいがする小説のはずなのに、私の鼻にずっと残っていたのは、あの朝のクミコの首筋の香りだった。小さな青い箱と黄色いリボン、洗面台に流されたその液体の強い香りがあたりに漂い続けて最後までずっと消えなかったのだ。

「KEEP CALM AND READ MURAKAMI」

 そう書かれた販促のTシャツが嬉しかったとハルキさんはポパイの連載に書いている。私がハルキの小説に惹かれているのはこの「KEEP CALM性」が理由だと思う。日常をどれだけふつうに暮らして行くか。この一点をハルキの主人公たちはいつも意地になって守ろうとしている。どんなに普通でないことが持ちあがっても、彼らはスパゲッティを茹で、シャツにアイロンをかけ、買い物に行き、猫と遊ぶ。

 何も起こらぬ普通の生活を「地上」とするならば人は(少なくても私は)天を目指そうとする。より高く、よりよくなろうとする。だけどハルキの主人公たちはいつも、地下(損なわれた状態)に陥り、地上(普通)にいること目指す。その姿は、どんなに社会が、自分自身が混乱していても、KEEP CALMが物事に対する一番の反抗なんだと静かに告げているように見える。とんでもないことは向こうからやってくるのだから、私たちは普通の状態をKEEPするよう心がけるくらいがちょうどいいのだと。ちょうど水面下で必死で水をかいているアヒルのヒトたちが涼しい顔をしているように。

 オカダトオルとクミコの夫婦関係も同じだ。盛り上がるでもない、ラブラブなわけでもない、だけどまるで香水の瓶と、それが収まっていた箱のくぼみのようにしっくりした生活。それを取り戻すためにオカダトオルは井戸に潜り、人の家に忍び込み、そして戦場に思いを馳せる。

 この表面上の起伏のなさは、まだ若く、ホットで、力を持て余し気味の今の私にとって、憧れでもあり、恐ろしくもある。

 クリスチャン・ディオールの香水は、私が(もしも)結婚するときに、嫁入り道具として持って行こうと思う。あるいはお守りとして。全自動でずっと続いていくと思っていた日常の手に取れるかたちとして、そして新たなる反抗の証として。