ヘイセイラヴァーズ

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踊るアホーに見るアホー(エッセイ⑤)

 8月の青森に、ねぶた祭りを見にいった。

 真夏のはずなのにすでにうっすら寒かったのは、雨のせいだったのだろうか。肝心のねぶたは濡れないように透明な袋で覆われていて、そのせいで中の光は少しだけやわらいでいる。雨の水滴のせいで、取り囲む跳人(ハネト)たちは皆キラキラ光って見える。女の子たちは朱色のたすきと膝下丈の浴衣を身につけていて(朱色と長め丈が今年の衣装の流行だそう)、濃い赤の残像が目の奥に残る。流行なんて気にせずに人より広く胸元を開けた集団の白い肌が眩しい。慣れた手つきで太鼓をたたいている好青年は、道端の観客に愛想を振りまきすぎて、今夜帰宅後きっと、可愛い彼女にしかられるだろう。普段はセンコーに楯突いているはずの男の子たちは派手に飾り付けた花傘をかぶって、争うように、誰にも負けないように、天に向かってハネている。

 渋ハロ(渋谷ハロウィン)の映像をテレビのニュースで見た時、私は夏に見たそのねぶた祭りの光景を思い出していた。東京にはああいう街をあげた祭りがない。踊れるようなディスコもクラブもない、日常と離れてオシャレしていく場所もないどころか普段の居場所すらない。東京の若者はそりゃ力を持て余すはずだ。渋ハロがあんなに過熱するのはそのせいだ。

 人々が濃い化粧をして普通ではない衣装を着て渋谷に集う様子はお祭りのようであり、一向一揆のようであり、革命前夜のようであり、デモのようでもある。なにに対しての?それはまだわからなくても、若者の力がひとつの街を、大人たちを動かしていることを心強く感じても良いはずだ。

 DJポリス以外の警察にお世話になるのはもちろん御免だけど、この若者だけのお祭りは、完全に統率される前のここ何年間かがいちばんおもしろいのだと思う。混乱を極めた戦国時代に多くの伝説が生まれたように。混沌と制圧の歴史は繰り返される。

 かくいう私は、いつも安全な道端やテレビの前にいて、それでもやっぱり少しだけ身体が疼く。参加しようかやめておこうか。その狭間をまだ揺れ動いている。

 あとは、若い者だけで。

 そう快く言えるようになるまでに、私も街もあと数年はかかるだろう。