ヘイセイラヴァーズ

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モテるということ(エッセイ⑥)

 恋愛ルールブックを侮るなかれ。

 『上級小悪魔になる方法』という本を読んだおかげで、私の大学生活はまずまずモテたと思う。例えばイケメンの先輩と古着屋さんデートをした。男友達に夜道で突然手をつながれたり、「幸せにするよ」という世にもキザなセリフでコクられたりもした。あるいはこれらは、モテたというより、その年齢特有の悪い病気が蔓延していただけにすぎないかもしれないけれど。

 このルールブックに書いてあるモテるためのテクニックの一つに、とにかくまず「相手の話を熱心に聞く」というものがあって、これは簡単なようでいて危険なほどに効果的だ。本を読んだ直後に鍛え上げたこのテクニックによって、私は上記のモテの思い出をこしらえ、今でもその気になれば大抵の男の子を落とせる気がしている(オオキクデスギタソレハウソ)。そしてこのテクニックはのちに、こっそり尊敬している男性が飲み会で言い放った「今の世の中は誰も幸せじゃないから、人の話を聞く人が不足している」という言葉に裏付けられることになる。

 ところが、である。そのときに一番好きだった男の子は決して私に振り向いてくれることはなかった。この本に書いてあるテクニックを、私は彼にはどうしても、何一つ使用することは出来なかったのだ。照れるし沈黙は怖いし自信はないし、ドキドキしすぎてあることないこと自分からしゃべりまくってしまう。彼はいつだってそれを笑って聞いてくれて、だけど、彼自身が一体何を考えているのかは、一度も私に話してくれたことはなかった。

 人はさびしい生き物だ、と人々は言う。たしかにそうだ、と私は思う。飲みすぎて気持ち悪くて死にそうになっている夜中や、隣で死んだように眠っている誰かの顔を眺めている朝方に、私はそれを感じる。自分はたったひとりで生きていて、だけど誰かとつながっていたいと思う。アムロちゃんの歌に「踊る私を誰か、優しくずっと見ていて」という歌詞があるけれどまさにそれで、自分が一生懸命この世で踊っているさまを誰かに見ていてほしいと思ってしまう。その結果が、恋愛であり、インスタであり、そして私の場合は文章を書くことでもある。

 この本のあとがきで作者はこう書いている。

「ときには、失敗することや苦い経験があったって、別にいいじゃない?」

 そう、別にいい。なぜならモテた思い出はもちろん、モテようとあがいたこと、そして結局モテなかったことも含めてそのすべてが、今では自分の欠かせない一部になっていると、私は感じているから。それは私が、誰かとつながろうとした確かな証なのだ。

 

※『上級小悪魔になる方法』 蝶々