ヘイセイラヴァーズ

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夏の終わりに(短編小説とエッセイのはざま)

 昼間がクソ暑かったわりに夕方は涼しかったので、私たちは川原に座って花火が上がるのを待っている。周りには色とりどりの華やかな浴衣のたくさんの女の子たち、目の端でチラチラ揺れる髪飾り。その中で紺は少し地味だったかな、と私は気にしてばかりいる。彼がさっき屋台で買ってくれたラムネのビンが手のひらの中で冷たい。

 思えば刹那というものに縁のない人生だった。刹那の恋、刹那の快感、そういうものにあこがれはするけれど、本当は切なすぎて苦手だ。だから私は刹那のきらめきを手に入れるといつも、心の中でそれを何度も思い出し、反芻し再生し、そのきらめきが薄れて擦り切れてやがてなにも感じなくなるまで、心の中で分析し尽してしまう。味がなくなるまでチューインガムをしつこく噛み続けるように。

 私たちの目の前の空いていたスペースに若い夫婦がやってくる。彼らは慣れた様子でテキパキとビニールシートを広げ、草を覆って陣地を作り上げる。担いできたクーラーボックスの中から過不足ない量のビールとお菓子を取り出す。毎年この花火大会を見に来ているのだろう。特に笑いもせず、しゃべりもしないその黙々とした後ろ姿は、彼らふたりだけのやり方で、毎年やってくる刹那に確かに対抗しているように見える。

 不意に夜空が明るく光った。よく見える、こんなに近いの初めて、そう、あの金色で、それで降ってくるみたいなやつが一番きれい。だけど私はやっぱり終わってしまうことが怖くて、どうしてもそれをうまく目に焼き付けることが出来ない。写真にも写すことができない。さっきの夫婦は仲良くひざまくらをしながら空を見上げていて、その指には同じ銀色の指輪が光っている。履きなれない下駄のせいで足が痛い。私は混乱して思わず隣にいる恋人を見る。薄く口を開けている横顔。彼は私の中の混乱なんて一ミリも理解していなくて、私は彼のそういうところがとても好きだ。首筋をひとすじ汗が流れる。この時が刹那よりもずっと長く続くことを私は願う。できたら永遠を。これまでのどんな刹那の瞬間にもそう願ってきたように、飽きもせず、懲りもせず。