イケメンの殺し合いほどもったいないことはない(1/14宝塚宙組『WEST SIDE STORY』感想②)
パンフレットにはこう書いてある。
「この作品に描かれているもの、それは血の異なる移民同士がどう生きていくかの戦いであり、それ故生まれる暴力であり、そしてその末にむかえる死という絶望なのです。」
この舞台は、この言葉通り、相対する人間たちの暴力の物語だ。肉体的にも精神的にもいくつもの対立する二つの世界が存在してる。例えば赤と青。例えば男と女。そして子どもと大人。それらの対立たちは向きをかえて、いろんな色で塗り分けられて、舞台の上でものすごい勢いでうずまいている。
まずリフ(桜木みなと)が率いるジェッツと、ベルナルド(芹香斗亜)が率いるシャークス。彼らがそれぞれ青と赤のテーマカラーのスカジャンを着て戦う姿を見ているあいだ中、私の頭にはずっと、映画『レ・ミゼラブル』の映像がちらついていた。
その映画の中では青年達がフランスに対して革命を行おうと立ち上がる。その青年軍の中にいる痩せた青いチョッキのマリウスと、真っ赤な服を着た金髪のその親友が彼らの姿に重なる。
映画の場合は味方同士だったけれど、戦っている青と赤の影はこの舞台と同じ。その服が泥だらけになって汚くなればなるほどに、彼らの目だけが爛々と光り始めていたことも。
なんのために戦うかという目的は違っている。それは国の平和のためかもしれないし、ライバルの不良チームから町のストリートを奪い返すためかもしれない。だけどその違いが何だ?若者は何かを求めて常に戦っているものなのだ。戦いこそが若さそのものなのだと、そう思われてならない。
とにかく若者たちの戦いは続いているということ。今この瞬間にも。
そして大人たちはそれを止めることはできないということ。
だけど私は彼らが青春の真ん中で命を燃やしたまま死ねたことを幸せとは決して思わない。これはやっぱり私がずるい大人に近づいているということなのだろうか?